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【エピローグ 最終日 七五三 千】
特急列車『つむじかぜ』。二列シートを向かい合わせに回転させた、四人掛けのグループ席。行きと違って満身創痍のぼくらは、ようやく帰路につこうとしていた。
「あいたた――痛い痛い♪ もうちょっと優しくしておくれよ」
目の前の座席に座る都九見さんの服を捲り上げ、万世先生が無表情のままぐりぐりと塗り薬のようなものを塗り込んでいる。結構容赦なく。痛々しい筈なのに何故か嬉しそうにしている准教授が恨めしい。先生とスキンシップがとれて嬉しいんだろうか。
あの時は暗闇でよく見えなかったせいか随分な深手に見えたけど、明るいところで見るとそんなにひどい傷でも無かったようで何よりだ。
「……先生もおでこの辺り怪我なさってませんでした? ぼくに良く見せて下さい」
「僕はだいじょうぶです」
「えー、本当ですか?」
うねる前髪をそっと捲り上げるも、特に怪我をしている様子はない。額は傷の割に出血が激しいと言うからもう塞がってしまったのかもしれない。
「五夢は――めちゃくちゃ戦ってた割に、殆ど怪我無いよね」
「まぁねー。でもハートはけっこー痛ぇよ? 久々の失恋の痛みがズシンと来てるわー。梓ちゃんもう一途に想ってる許嫁がいるんだもんなー。人のもんに手は出さねぇ主義だし、出逢うのがちょっと遅かったな。残念!」
今回のことで、図らずも『榊』一族は、代々苦悩させられていたご神木の封印の責務から解放されることになった。ほっとした顔で御礼を言う梓さん梧さん姉弟や、御付きの白装束の人達の笑顔を思い出す。
みんなこれから幸せになってほしい、と心から思う。
「――でも残念だな。鬼退治伝説の村、なんて言ってたけど、結局『鬼』なんていなかったんじゃん」
「まぁ、少なくともあそこに封印されていた円樹という人物は『鬼』ではなかったようだね。仮にどこかに本物がいたとしても、自ら名乗り出ることは決してないさ。彼らは歴史の暗部。そもそも存在してはいけないものだから」
行きがけに都九見准教授が、鬼の語源は『隠ぬ』だと話していた。この世ならざる者というだけじゃなくて――きっと歴史の闇に葬られ、その真実を覆い隠されてしまった哀しき敗残者や、被排斥者の事も示しているんじゃないかと、ぼくは直感的に思った。
「結局、事実と伝説が全くの逆様だったってことですもんね。後世で自分が悪者にされて『鬼』扱いされてたら、つい恨んでしまう気持ちも分からなくはないですね」
「えぇ。呪念の主と約束した手前――村長には『伝説』の訂正と、社や碑の建立をお願いしておきました。聞き入れてくれるといいのですが――」
駅弁の蓋を開けながら万世先生が遠い目で呟く。
治療を終えた村人達も全員戻ってきたし、白装束の人達の真実は明らかになったのだから、簑島村長の依頼は見事完遂出来たはずだ。でも、そもそもあの森をゴルフ場にしようなんて目論んでいた村長が、素直に先生の言うことを聞くだろうか――?
すると、五夢が得意げにスマホの画面を見せてきた。
「えへへ――実はさ。SNSでボクもう広めちゃったんだよねー。じゃーん!
『鬼退治伝説の真実! "鬼"扱いされ、非業の死を遂げた男の伝説が残るM県の"悲劇的スポット"』って! 中々エモいでしょ。ボク、ネットで影響力あるからこれからじゃんじゃか若者がご神木のお参りに訪れるんじゃないかなー。経済効果バツグン。儲かると判断したら乗っかるんじゃね? "ウィクショナリア"の記事もさっそく書き換わってたよ。みんな仕事はやいねー」
「えもい、とは? 聞き慣れない言葉ですが」
「感動に襲われてすげぇ心動かされる! みたいな? うわーっ、ぐわーって高まってどうしようもなくなる感じ」
「……ふむ。いとをかしに近い意味合いですね」
「んー? よく分かんねぇけど多分そう!」
発車のベルが鳴る。
ゆっくりと発車した特急電車の窓から見える、救急車に似た形の白いワゴン車が三台。白装束の人達を乗せている。
『榊』の皆さんが見送りに来てくれたのだ。乗り出して手を振ってくれている。気付いたぼくらも手を振り返した。まっすぐな田舎道でだんだん小さくなっていく彼らの真白い装束姿は、今のぼくの目には真夏の入道雲みたいに眩しく爽やかなものに映った。
数多町七十刈探偵舎
第十話『きかいむら』 終
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