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ようやく四人と一匹で囲む鍋。見守られながら、だしを取る。
土鍋に張った水にあらかじめ浸け込んでおいた昆布を、弱火でゆっくりと加熱しながら、お酒を少量回し入れる。ぐつ、ぐつと沸騰しかけた直前で旨味が抜け過ぎてしまわないよう、昆布をさっと取り出した。さらに多少の水を入れて温度を整えたところで、準備完了だ。
上品な昆布だしの良い香りが部屋に漂う。真夏に冷房を効かせた部屋で食べるお鍋。熱気と共に皆の興奮が高まっていくのを感じる。
「それでは、お待ちかね――しゃぶしゃぶ鍋です。どうぞ召し上がれ」
「いぇーい」
口々に「いただきます」の歓声を上げながら、箸を片手に薄切りの黒毛和牛肉に飛びつく。お肉もちょうど良い具合だ。脂が部屋の温度で溶け出してまったりと艶を帯びている。
「泳がせるようにだしに軽く二、三回くぐらせてくださいね。全体的にほんの少し桜色になった頃が食べ頃ですよ」
「よっしゃー。サンキュー鍋奉行!」
みんながお肉を楽しく濯いでいる間に、ぼくは火の通りにくい根菜や茎もの、いいだしが出るきのこ類を手早く鍋の底へと沈める。皆から早速「んー柔らかい」「美味しい」と感激の声が上がっている。さすがは黒毛和牛。
「どうですか、先生? お味は」
「おいひいれふ」
万世先生が口いっぱいに肉を頬張ったまま返事をする。頬袋に沢山物を詰め込んだハムスターのようでとてもほっこりする。七つも年上の人をひそかに小動物扱いするなんて失礼かもしれないけど、先生に関してはぼくはぼくの感覚に素直でいようと思う。
「喜んで頂けて良かったです。せっかくなので野菜も食べてくださいね」
栄養バランスを考え、先生のお椀に白菜や人参、長ネギを取り分けて差し上げた。仕方ないといった調子でもそもそと口に運んでいる。その横では猫の億良が、猫用にこしらえた特別肉ごはんを『ちょっとずつ食べ』している。こちらも彼女の口に合ったようで何よりだ。
「しゃぶしゃぶの起源は中国北方の『シュワンヤンロウ』という料理だけど、現地では子羊肉なんだよね。牛肉の水炊き――『すすぎ鍋』として日本の鳥取県に初めて持ち込まれた時に、試行錯誤の末こちらで手に入りやすい牛肉にアレンジされたそうだよ。いやぁナイスな手腕だよね。黒毛和牛最高♪」
頼まれてもいないのにご機嫌で薀蓄を語り始める准教授。もはや誰もツッコまない。お鍋の様子が落ち着いてきたので、ぼくもそろそろお肉をしゃぶしゃぶしようと身を乗り出した時。
「ところで――七五三君の可愛いお姉さん。私も見てみたいんだけど?」
やっぱり。どこかで聞いていやがったか。都九見め。
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