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とんでもないことを言い出した。
ここで怖い話だって? すっかり住み慣れてしまっているけど、この迷宮通は事故物件だらけの心霊スポットと言われているのだ。怪談なんてしようものなら何かを喚んでしまいそうな気がしてならない。
「『怖い話』――ですか。成る程」
万世先生が唇に指を当てて思案している。壁に掛けたカレンダーを確認しているようだ。
「そういえば。今は丁度――『盆』でしたね。ところで。何故真夏のこの時期に怪談をすることが多いのか、ご存知ですか」
「肝を冷やして涼を取る為じゃないんですか?」
「……それだけではないのですよ。じきに分かります。さて、一応あるだけの蝋燭を」
万世先生も何故か乗り気だ。大きな蝋燭と燭台を五本分、奥の引き出しから取り出してきた。応接間の照明を消し、真ん中に置いたちゃぶ台の上の蝋燭に火を点す。五つの明かりだけがゆらめきながら部屋の中を照らしていた。こうしていると何かの儀式みたいだ。ただでさえ古めかしい木造平屋建の建物が、妖しげで異様な空気に包まれる。
「で、誰からいく? 誰からいく?」
とオカルト好きの五夢が、期待に満ちた眼差しで身を乗り出してくる。ここにいるのは多かれ少なかれ怪異や呪詛、超常現象の類に関わってきたメンバーだ。どんな話を聞かせてもらえるのか、楽しみで仕方ないのだろう。
一抹の不安がぼくの胸をよぎるが、きっと万世先生もいらっしゃるのだから大丈夫だろうと自分の心を落ち着かせる。
「では――まずは、僕からいきましょうか」
意外にも口火を切ったのは万世先生だった。
すっと切れた目元。下がった賢そうな眉尻。万世先生の日本人形みたいな顔立ちが炎に照らされてぼうっと浮かび上がるのを、ぼくはうっとりと眺める。
先生と初めて会った日のことをふと思い出しながら。
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