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【『ありえないこと』 語り手 七十刈 万世】
さて……前提として。
この建物には結界を施してあるので、僕が許可した者以外入り込めないようになっています。――こういう業についていると、どこで恨みを買うか分かりませんからね。何者かに呪の標的にされることも少なくない。
迷宮通一番地の奥の奥。この迷路のような細い路地は、外敵の侵入を防ぐのに丁度良いんですよ。
そんなわけで。元々の顔見知りや『儺詛』を抱えてやってきた依頼者達を除けば、喚ばれざる者は、僕の結界を突破しない限りはここに立ち入ることが出来ないのですよ。
――人も、人ならざるものもね。
ですので。この探偵舎で、僕が認識しない怪異に襲われることなど、ありえないはずなんです。
――本来ならば。
少し前の、ある夜。
時刻は大体――丑一つ位のことでした。
僕は自室で、頭から毛布を被って横になっていました。
なんです都九見さん。
「まだその寝相の癖が治らないのか」って? ……うるさい。どういう姿勢で休もうが僕の勝手でしょう。
さて。
ようやく眠りに落ちかけた頃、僕は『異変』に気付きました。
――おかしい。体が、ひどく重苦しい。
意識はまだはっきりしているはずなのに。動けない。
まるで見えない力で上から押さえつけられているかのように。
そうです――『金縛り』の兆候でした。
僕が。この探偵舎で。『金縛り』にあうなんて。
ありえないはずなのに。ありえないことが実際に起こっていたんです。
……億良だろうか? いや、違う。
時々一緒にぬくぬくと仮眠をとることもありますが、彼女は分別のある賢い猫です。休息している僕を途中で邪魔することなどまずありえません。
……体の不調か? 疲労の蓄積による睡眠の乱れが、似たような現象を引き起こすこともあるそうですが――そういうものとは違う。
喉元を、心の臓を、ざらりと撫でるような。
こちらの命脈に関わる部分を、狙い澄ましているかのような。
そんな、明確な意思を持った何かであるように感じられました。
――敵襲ならば、まずい。
結界を切ることが出来る者は、あるいは潜り抜けることが出来る者は、相応の能力者です。人にしろ妖にしろ。人智を超えた恐ろしい存在である可能性は否めない。僕の力で対処しきれるかも分からない。最悪の可能性が頭をよぎりました。
しかし。
むざむざと寝首を搔かれるわけにもいきません。
目眩と息苦しさに苛まれながらも、僕は決死の思いで重みに抗いました。口の中で呪文を唱え、身動ぎし、頭を起こして何とか毛布の端を捲り上げてみたんです。
すると。そこにあったのは。
暗闇にぼうっと浮かび上がる――白い顔。
血走った一対の蒼い眼が。
……僕のことを、間近で見下ろしていたんです。
――――七五三君でした。
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