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【『死か生か』 語り手 七五三 千】
あれは小学生の頃だったと思う。三年生か、四年生かな。
うちの母さんは夜の仕事をしていたから、放課後から夜にかけて、ぼくはいつも家で一人で留守番だった。
いつもは大抵平気で過ごしてたんだけど、その日はなんだか自分だけで居るのがやけに寂しくなって。もう薄暗くなりかけてるのに、アパートを出てふらふらと近所を散歩することにしたんだ。コンビニとか、遅くまで開いてる本屋さんとか、人の気配がある場所に行きたかったのかな。
うん。今考えたら危ないよね。……ぼくもそう思う。
のぼりかけたお月様を追いかけるみたいにして、あてどなく歩いてるうちに、ぼくはいつの間にか隣の町まで来ていたようだった。見たこともない道。人気はない。ちょっと迷宮通に似た雰囲気の、さみしい住宅街。
道の途中で、ぼくはびくっと立ち止まった。
誰かが、じっと立ってこちらを見ている。
見知らぬ、背の高いお姉さん。
白いワンピースを着ている。長い髪の毛で隠れて表情が見えない。顔色が青白い。でも、どういうわけかぼくのことを物凄く見ているのは分かる。
びりびりと皮膚が痺れた。足が竦んでしまったかのように、その場を動くことが出来なくなっていることに、ぼくは気が付いた。
もう、次の瞬間には。
お姉さんは――ぼくのすぐ目の前に立っていた。音も無く。
首を傾けて。長い髪がぼくの顔に触れるくらいの距離で。
髪の合間から黄色い歯を剥き出しにした口元がぱくりと覗いた。
「しーーーーーーーーーーーーーーーーーー?」
頭に直接響くような、大きな声で。
お姉さんはどこまでも長く長く単調に、異様すぎる発声をした。
鳥の鳴き声みたいな耳に障る声だった。
「せーーーーーーーーーーーーーーーーーー?」
まただ。耳がきぃんとする。
ぱかり、と口の形が変わって、赤い口内と不揃いな歯が見えた。
立ち竦むぼくのことを、すごい形相で見つめてくる。
ぼくが『返事をする』のを待っているらしかった。
どうしたらいいのか。
子供なりにパニックになりながらも、必死になって考えた。
ぼくは見ての通り、こういう見た目だ。
生まれつきの金髪に、青い眼をしている。
だからこの時のぼくは、
「この人、ぼくのことを外国人だと勘違いして、英語で話しかけてくれてるのかな」
と本気で考えたんだ。
『see(見る)』と『say(言う)』。これなら分かる。
小学校の英語プリントで動詞の書き取りをしたばかりだ。
もしかして「ぼくのことを見かけて何か言いたい、話しかけたい」ってことなのか? 見た目は恐ろしく見えるけど人は見た目だけじゃないって教師も言っていた。きっとぼくと仲良くなりたいだけの親切なお姉さんなんだ。人なのか人じゃないのかさえ分からないけど、ひょっとしたら良いお友達になれるかもしれない。
なので。ぼくは勇気を振り絞って、
「say!」
と返事をした。
内心、ばくばくの心臓を抱えながら。
そしたらお姉さんは、無言ですっとぼくの横を通り抜けて。
そのままどこかへ歩き去って行ってしまった。
その日はなんとなく力が抜けてしまって……大人しく家に帰ったよ。
頭の中は『?』マークいっぱいになったけど。
それから暫くの間、そんな出来事のことは忘れてしまってたんだ。
ぼくがお姉さんのことを思い出したのは、一か月後のこと。
隣町で子どもが一人帰って来ないと騒ぎになっていたからだ。
白いワンピースの女と歩いているのを、最後に目撃されていた。
脳裏に、お姉さんのあの奇妙な声が蘇ってきた。
「しーーーーーーーーーーーーーーーーーー?」
唐突に。
ぼくは、ほんとうの意味に気付いてしまった。
鳥肌が立つ。そういうことなら。もし、あの時。ぼくが違う返事をしていたら。
「せーーーーーーーーーーーーーーーーーー?」
英語じゃなかったんだ。
お姉さんは、日本語で話しかけていたんだ。
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