第十二話「どくどく」~囚われの呪術師探偵~

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「先生から突然の着信だったので、途中で何かあったのかと思って焦りました。でも、聞こえてくるのは先生と依頼人の会話ばかりで。間違いかな、って一瞬思いかけたんですが――メモの暗号のこともあったので、先生の作戦だと気付いて切らずに録音することにしたんです」  我ながら賢明な判断だ。  ぼく自身の携帯電話は使用中になってしまったので、急いで使用人を介して警察に通報し、車ですぐさま先生達のことを尾行し始めたのだった。 「僕の目には初めからあの者に憑く呪念の主達が視えていました。何らかの非人道的な罪業に関わっていることは予想出来た。ですが――視えているというだけでは何の証拠にもならない。  ですので、あの者を挑発し、心を乱して自白を引き出しました。本人の録音があれば警察も動いてくれるはずです」  録音データは、一旦携帯電話ごと警察に提出してある。不便だけどタブレットもあるから何とかなるだろう。何故か依頼人の浦部がいきなり叫び出したあたりで、ひどいノイズが入って全く聞こえなくなってしまったけれど。肝心な部分はばっちりだ。 「七五三(しめ)君の番号は短縮で入っていて、で出せますから。……つくづく、の操作を覚えていて良かったです。起動させた後は、服裏の隠しポケットに滑り込ませていました。  先日、二月(ふたつき)君が見繕ってくれた服は布が多い不思議な構造をしていますから、薄い機械を隠し持っていても気付かれにくいのが利点です。とはいえ縛られる時に細かく身体検査されたり、着衣を剥ぎ取られる可能性もありましたが。その時は機を見計らって大声を出すつもりでした。君達なら近くまで来てくれていると思っていましたし、億良(おくら)の耳には届くはずですから」  もちろんだとも、と言いたげな調子で億良(おくら)が耳をぴくぴくさせた。猫の聴覚は人間と比べ物にならないくらい優れているらしい。  先生が無事に戻ってきた安堵感と、ぼくらを信頼して下さったという事実に目頭が熱くなる。でも、それだけじゃない。喉の奥から次々とこみ上げてくるのはもっと複雑な感情だった。悔しさと苦々しさ。胸が締め付けられるような痛み。  あの時ぼくらは依頼人の家の傍に身を隠し、携帯電話の音声をチェックしながらひたすら先生の合図が聞こえてくるのを待っていた。永遠に続く責め苦のような、途方もなく苦しい時間だった。 「証拠を引き出すまでよく耐えましたね。……お手柄ですよ」  先生の手が後ろから伸びてきて、ぼくの頭頂部をぺたぺたと撫でる。ぼくは居たたまれなくなって唇を噛み締めた。視界が涙の膜で滲む。 「耐えたのは先生のほうですよ。……すみません先生。ぼくは……ぼくは、ぎりぎりでした。作戦上だとはいえ、正直聞くに堪えませんでした。冷静になろうとしても、頭が勝手に奴の息の根を止める為の方法を何通りも考え始めてしまうんです。許せなかった。億良(おくら)が一緒に居て、止めてくれなかったらきっと我を忘れて飛び込んでしまっていたと思います。でも――」  揺らさないよう、先生をそろりと抱え直す。  平気そうに振る舞ってはいらっしゃるけれど、先生が大変な目に遭っていらっしゃったのは携帯電話越しでも嫌という程伝わってきた。  どんな人でも、たとえ先生のようなお強い方でも、痛い時は痛いし苦しい時は苦しいはずなんだ。痛めつけられて、踏みにじられて、平気なはずがない。そういうふうに人は出来ていないんだ。たとえご本人でさえ全く気付いていないとしても。  つい先刻の、地獄のような時間を思い返す。水音に混ざって聞こえてくる押し殺した声。犯人の狂った妄言。細部まで向こうの情報を逃さない為にそれを聞き続けないといけないのが耐え難く、本当に本当に辛かった。頭がおかしくなるかと思った。それでも。 「前足をそっと重ねて、億良(おくら)がこう言ってくれた気がしたんです。『助手のお前が探偵を信じてやらなくてどうする』って」  彼女の言葉は分からないけど、不思議と言いたいことがはっきりと流れ込むように伝わってきたのだ。初めての感覚だった。探偵舎の仲間として、先生を助けたい者同士心が通じ合った気がした。先生の意思を受け止めて成すべきことを成さなくては、と。 「それで――冷静になれました。万世(まよ)先生を、最後まで信じ抜こうと思ったんです。ぼくらの先生は大丈夫。んだって」
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