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呪文みたいに、もう一度耳元で繰り返す。
「――ぼくは信じています。先生は大丈夫。絶対に死なないし、絶対に死なせません」
万世先生は、どこまでも万世先生だ。
何があっても変わらないだろうし、揺らぐことなんてきっとない。決して侵犯されることのない山の上の神域のようなお人だ。最初から分かっていた。『なぞ』だけをまっすぐに見据える瞳。自分の身を囮にすることも厭わず、それが最善と判断したなら自ら率先して死地へと飛び込んでいく。先生が先生である限りそう在り続ける。
ぼくときたら。傍に居ておきながら、先生が危険に身を晒すたびに気が遠くなって動けなくなってしまう。でもいつまでも不安がってばかりじゃいけないということに、ぼくは最近気付き始めていた。
この前、親友の五夢が過去の自分としっかり向き合うことで、自分を変えていきたいという決心を語ってくれたから。
ぼくだって変わりたい。
万世先生と――ぼく自身の為に。
一つ一つのことを精一杯やりきって、先生に安心して頼ってもらえるような存在になりたい。ぼくも先生に信じてもらいたい。先生が抱えているものは計り知れないけれど。先生の背負った荷をほんの少しでも代わりに持ってさしあげられるような、立派な助手にぼくはなりたい。
今はまだ届かなくても。いつか必ず。
大切な人を守れるだけの力が。力が欲しい。
この手に。どうしても。
「……七五三君の、ごはんが、食べたいです」
先生の声が、僅かに掠れていた。
喉を傷めていらっしゃるのだろうか。
ぼくの背中にしがみついていらっしゃるので、どんな表情をしているかは見えない。
「? いつも食べてるじゃありませんか。ご用意しますよ」
「……いつもより、たくさん食べたいです」
「任せてください」
二人と一匹の長い影が重なり合う。
真っ赤な晩夏の夕焼けの毒々しさが、この日ばかりはやたらと目に沁みた。
数多町七十刈探偵舎
第十二話『どくどく』 終
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