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尋ねた私に、彼はこう答えた。
「ウォーターボーディングやら、謎の薬物を飲まされたりやら――スパイも真っ青ですよ。そんな状況で生還出来るなんてまさにサバイバーですね! 七五三さんもスマートフォン越しにしか一部始終を把握していないそうなんですが。外にステイさせられていたそうで」
私に分かりやすいよう、八壁君が大体の顛末をストーリー形式でかいつまんで話してくれた。新聞や雑誌のライターという職業柄なのか臨場感ある表現で語ってくれるので、まるで冒険活劇の一場面を追体験しているかのようだ。この調子で特集記事を仕上げるつもりなのだろう。
「――というわけなんですよ。いかにも探偵らしい展開でしょう」
話を聞くうちに私は――知らず知らずのうちに顔が笑顔を形作り始めていることに気が付いた。至極自動的に。両目をにぃと均等に細め、口角を上げ、白い歯を剥き出しにして爽やかに笑う。
時折、内と外が乖離するのは私の悪癖だ。
「あっはっは――なるほどねぇ」
私から言わせれば、悪手だ。
彼の中ではそれが最善で、結果的に事がうまく運んだから良かったのだろうけれど。そんなものは結果論に過ぎない。
――心というものを、全く解っていない。
大切に思っている者の生命や尊厳が踏みにじられる場面を、よりによって繊細な七五三君にじっと聞かせるような作戦を平然と立ててしまうとはね。それがどんなに残酷なことか気付いてすらいないのだろう。可愛い助手の心には浅からぬ爪痕が残ったはずだ。どうせ万世君は自らの性質をろくに周囲に伝えもしていないのだろうし、己自身の身など目的の為の『道具』の一つとしか思っていないのだろうが。
独立独歩を貫くならばそれでいい。
けれど、今のあれはひとりではない。
もし何か一つでも間違えたなら、彼を信じて関わってきた者達の心に今度こそ取り返しのつかない深手を負わすことになる。何もかもを巻き込んで瓦解させる可能性を孕んでいる。世界を広げること、他者と関わることは時として致命的なリスクだ。
その危うさが分かっているんだろうか。
――分からないか。
賢いくせに、馬鹿だよねぇ。
呪の源泉は、いつだって心だ。
そんな調子では真実には辿り着けないよ。
「――是非私も間近で見てみたかったなぁ、それ。あの万世君がいいようにやり込められている場面を見るのは面白そうだ」
「あら。都九見先生。そんなこと言っちゃって大丈夫ですか? 七十刈先生とは懇意にされていたのでは?」
「彼とは仲良しだよ。でも私が私として抱く感情と、研究者としての関心事はまた別問題さ」
言いながら残り少なくなっていた一杯目の生ビールを一気に呑み干し、夏限定の純米吟醸の冷酒を注文する。抜け目の無い八壁君がすかさず「お猪口二つで」と付け足した。
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