第十四話「まよです」~猫とシールと認識汚染~

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「ふぅん。、ね。そう名乗ったのかい」 「――はい」  古びた書物と民俗学の資料、歴史的品々のひしめき合う研究室を訪れた黒づくめの来客――万世(まよ)君は、自身も調度品のからくり人形のような趣をたたえながら、こくりと頷いた。すすめたインスタントコーヒーに手を付けることもなく、本棚を背に佇んでいる。  わざとらしいコーヒーの香りと、柔らかな書物の匂いが歪に混じり合うのを鼻腔で堪能しながら、この私――都九見(つぐみ) 京一(けいいち)は、丸い銀縁眼鏡を外し、折り畳んでマホガニーの机の隅に置いた。  平素、何かと理由を付けて私のことを避けるくせに、珍しく単身我が城に乗り込んできたと思ったら――やはりか。遅かれ早かれ、いつかはこうなるだろうと、心のどこかで予期していた。 「まるで果たし状のようだね。  謎……いや、『儺詛(なぞ)』を掛ける者なんて――『儺詛(なぞ)』を解き明かす君の対極に位置する存在と言えるじゃないか」  彼ら、『七十刈(なそかり)』の歴史は古い。  平安初期の呪師(のろんじ)である『儺詛解吏(なそかりの)世通名(せつな)』にまで遡る。僅かな資料しか残っておらず、伝説上の存在とも言われている呪術師。素性は謎に包まれており、性別や没年すら定かではない。子は無く生涯独身であったそうだ。都抱えの陰陽師や僧達から疎まれながらも千里眼やまじない、神通力を操り、為政者の影となって民を救ったと伝えられている。  その後『世通名(せつな)』の力は、見出した後継に細々と時代を越えて受け継がれ――特徴的な黒装束を身に纏い、様々な思惑の渦巻く歴史の影で立場を変えながらあらゆる呪を自在に扱い、分かちがたい詛を解き、書簡の暗号を明かす為に暗躍する『なぞ(すじ)』の一派が形成された。  元々『儺詛解吏(ナソカリ)』というのは『儺詛(ナゾ)』――つまり複雑怪奇に歪められた呪詛の類を解き明かす官吏、つまり呪師(のろんじ)として与えられた役職名のようなものであったが、やがて転じて『七十刈(なそかり)』となったらしい。  そんな彼らだが、明治初期の神仏分離令で呪を執り行う邪道として中央政府に不当に迫害され俗世に見切りをつけてからは、長きにわたり地図にも載らない隔絶された里村に隠れて特異きわまりない集団生活を営んでいた。  ――十年前。  が起こるその瞬間までは。   「ねぇ。確証はあるのかな。本当に君は、そいつがだと考えているのかい――の事件の」 「……かの場に居合わせ、あそこでを知っているのはもう――のはずでしょう」 「へぇ。……信用してくれてるんだ?」 「いいえ」  きっぱりと言い放った。ぞくり、と肌が粟立つ。  ガラス玉のような翡翠色の瞳の奥が静かに燃えている。私は内心、言い知れぬ昂揚感を覚えて生唾を呑み込んだ。喉が鳴る。彼はこうでなくては。口の端を吊り上げると、笑みを形作ったまま近づいた。 「万に一つでも可能性が見出せるならば、真実がそう指し示すならば――僕は僕自身のすらも疑いますよ」 「そういう正直なところは――、好きだよ」 「七十刈(なそかり)ですから」  懐かない動物をなだめるように屈んで目線を合わせようと顔を寄せたら、思い切り背けられてしまった。身長差を利用して視線の先に回り込むも、またふいっと背けられる。さらけ出された喉元が目に止まる。  首を曲げてのけぞらせた変な姿勢のまま、彼が次の言葉を放った。 「……都九見(つぐみ)さん」 「なぁに」 「気を付けなさい。良くも悪くも僕らは、互いを知りすぎている」 「どれだけ知ったつもりでも知り尽くせないのが生きとし生ける者の妙味でしょう。まだまだ未知(ミチ)(ミチ)が沢山あるんじゃない? 僕ら自身も気付いていないような、ね」 「貴方、」    伸びてきた掌を遮り、骨張った手首を素早く掴んだ瞬間に――ぐるるる、と派手に腹の音が鳴り響く。  気付いた万世(まよ)君が、目を見開いた。  あぁもう。そんな表情で見ないでおくれよ。ますますうるさく主張してくる腹の虫を押さえつけ、私はどうせならと久々に誘いをかけた。 「あっはは――お腹、空いてきちゃった。どうしたって腹の(ムシ)無視(ムシ)出来ないからねぇ。  少し付き合ってよ。場所を変えよう」
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