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いつものように朝のパトロールを終え、近頃専ら『拠点』にしているナソカリ探偵舎に戻る。
少し前まではここの主のナソカリという陰気な黒づくめがひとりきりで棲んでいたようだが、最近ここにもうひとり、シメミルという子供が出入りするようになった。
金色の毛に青い眼をしていて、ひょろりと背が高い。どことなく、昔ひなたぼっこ仲間だったアビシニアン種を髣髴とさせる。
箱入り坊ちゃんみたいな雰囲気を漂わせていたので最初は何も出来ない子供かと思っていたが、蓋を開けてみると、シメミルは存外に働き者のようだ。どうやら一通りの家事の心得があるらしく――随分昔からやり慣れてきたような手さばきでてきぱきと家事を片付けていく。
『儺詛』――すなわち複雑怪奇に歪んでしまった呪いの類を解き明かすことについては天才的だがそれ以外からっきし駄目なナソカリの代わりに、あっという間にごみ屋敷を掃除して綺麗にしてしまった。自慢の毛並みに綿埃がつくのが嫌だったので、おかげでずいぶんと居心地がいい。
特に料理が絶品だ。私にもいつも出すカリカリご飯以外に、もう一品体に優しい食べ物を作ってくれている。朴念仁なナソカリもすっかりシメミルの作る料理が気に入ったらしく、内心ご機嫌で頬張っているのが手に取るように分かる。
シメミルが居つく前――私が初めてここを訪れた頃は随分と悲惨だった。出来合いのものならともかく、失敗して焦がしてしまった食材や、あの時々覗きに来る――ツグなんとかという白髪の嫌な男が大量に残していった菓子や湯で作る麺でナソカリが渋々食いつなぐ様を私は目の当たりにしてきた。
天賦の才を持つ彼ら『筋の者』にはよくある話だが、ある一分野が突出する代わりに、他が致命的に欠けてしまっているのだろう。
そろそろご飯の時間のはずだが何故か台所にエプロンをつけたシメミルの姿はなく、その代わりに――珍しく複数の『来客』の気配がした。培ってきた探偵の直感が、
「事件の予感がするな」と囁きかける。
入り込んだ応接間の棚の上から――人間たちが閉めたドアを開けることくらい探偵の私にとっては造作も無い――ナソカリとシメミル、そして客人たちの様子を観察する。人間の老夫婦。懐から大事そうに取り出してきたのは一枚の写真――写っているのは一匹の猫だ。
見たところコラット種の雄。歳のころは四歳程だろうか。グレーの毛並にくりっとした黄色い目。穏やかで優しそうな顔つきだが、些か気が弱そうにも見える。よくブラッシングされた毛艶。健康状態は良さそうだ。
きっとこの人間たちに大切にされてきた『家族』なのだろうと私は推理する。ご婦人のほうは目に涙を浮かべながら、
「うちの飼い猫が、二、三日行方不明なんです。毎日必ず朝と晩はご飯を食べに戻ってくるはずなんですが、急に戻らなくなって。家の近くで、猫が誘拐される事件なんかも連続で起きてるみたいだから、私も不安になって……」
と状況を説明してくれる。人間たちはこちらの言語をあまり解していないようだが、我々猫は程度の差こそあれ、彼らの言っている事については大体ニュアンスで理解出来ている。なるほど、行方不明事件というわけか。
「あら、ベンガルネコの女の子。珍しいですね」
依頼人たちの注目がこちらに集まる。もう既に立派な成猫で『女の子』と呼ばれる歳でもない私だが、人間たちに他意はないようなのでおとなの対応として聞き流しておく。
ふと、ナソカリの視線に気付いた。カンカン帽の鍔をちょいと持ち上げてガラス玉のような翠色の目をこちらに向けている。
(貴女がここに来るのは分かっていましたよ。)
とでも言いたげな表情を一瞬浮かべた後、黒くてひらひらした上着を整えると依頼主のほうにくるりと向きなおり、
「――分かりました。今回の依頼については、『別の者』が担当します」
と告げて席を立った。『別の者』――すなわち、この私、億良に依頼を任せよう、というわけだ。流石はナソカリ。猫関係の依頼であるというなら、猫の世界の詳しい私が主だって動くのが『適材適所』に違いない。人間相手の連絡や情報収集などの雑事についてはシメミルがやってくれるらしいのも有難い。
さあ、前足の見せ所だ。
きっと探偵の私が、貴方がたの大切な家族を探し出して御覧に入れよう。
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