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皆で背を向けて万世先生の着替えを待つ。
「終わりました。どうぞ」
五夢のものと思しき、白地に赤いハート型のおばけが描かれた半袖のTシャツに、チェック柄の膝丈のハーフパンツという格好。ソファの隅で居心地悪そうに三角座りしている。色づいたものを纏う先生。暗闇に棲息する生き物を思わせる白くひょろひょろした腕と脚が目に飛び込んできた。
何より――その先の。
「――肘ィッ! ――膝ァッッ!」
ぼくは叫びながら座椅子からごろごろと転げ落ちた。どうにか体勢を立て直し慌てて息を整える。……危ない。断末魔の言葉が危うく『肘』と『膝』になるところだった。初めて見てしまった。この目で。
「……そんなにおかしいですか?」
「すみません。おかしくは……おかしくはないのですが――」
「どーよミルミル! カジュアルファッションのカピ先生、かわいーっしょ?」
なんだこれは。何故かいけないものを見ているような、いたたまれない気持ちになってくる。普通のカジュアルウェアの筈なのに、心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような物凄い違和感を覚える。見慣れない光景のせいだろうか。先生はいつも肌面積の少ない服を着ていらっしゃるし、人前で着替えることも無いので、ぼくは先生の肘や膝を目にする機会がついぞ無かったのだ。だから、こんなにも得体の知れない動揺を覚えてしまうに違いない。
こんなにも、人に根付いた『認識』というものが手強いなんて。
「……先生、やはりいけません! 何かとても良くない感じがします。後生なので早くしまってください」
「何をですか」
「肘と、膝です」
「……人面瘡でも出ていますか?」
オクライオンを腿の上に乗せたまま、先生は不思議そうに自分の肘や膝を検分する。不良姿の五夢が「ぜんぜんフツーじゃん?」と横から覗き込んできた。何故かニヤニヤしながら肩を竦めている。
「いえ、あの! そういうわけではありませんが、とにかく本能が危険信号を訴えかけてくるんです」
「――確かに。この格好では、呪詛から身を護りきれないので危ないですね」
「えぇ危ないです! 間違ってもその姿で外には出ないでください。あともう着替えてください。何だか見ていられなくて……」
「無論、外には出ませんが――」
ソファからゆらりと立ち上がった先生が至近距離まで迫ってくる。すんとすました百獣の王と、「噛み合わねー!」と何故か大笑いしている元ヤンキーを背後に引き連れて。
「……今、この場ではしっかりと姿を見てもらわなくては困ります。何の拒否反応が起きているかは知りませんが、今後の為に君の『認識』を上書きしなくてはいけませんので。さあ、さあ」
ああ……なんて辛く険しい試練なんだろう。
追い詰められた白スーツの『伊達男』は、自らの未熟さを人知れず呪った。
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