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「――出来ました!」
先生のミステリアスな印象を損なわないように気を配りつつも、不揃いきわまりない髪の長さを出来る限り是正し、良好な視界を確保してみせた。おしゃれの最前線をひた走る親友の五夢と違って、ぼくはファッションやヘアスタイルのことはあまり分からないけれど――我ながら中々良い出来映えなんじゃないかと思う。面目躍如出来た筈だ。
「……ふむ。さっぱりしました。上出来ですね」
「どうです、ぼくは。先程の失態を取り返すほどには、有能な助手でしょう。鬱陶しくなったら、またいつでも切ってさしあげますからね」
ひとしきり褒めて頂いた後、後片付けに入る。
先程まで先生の一部を形成していた髪の毛が、辺りに落ちて散らばっている。首元にへばりついた髪の切れ端を濡れたタオルで拭い、ケープ代わりの布と新聞紙ごとビニール袋にまとめて詰める。先生にしては珍しくお掃除に協力的で、床に散らばった髪を破片すら残さず掃き集めて片付けている。『探偵』なのに、さながら犯行現場で証拠隠滅を図る犯人みたいな動きだ。
「明日、ごみの日でしたよね。捨てやすいように玄関に置いてきます」
「お待ちなさい」
袋を引き取ろうとしたら先生に止められた。迷宮通の共同ごみ捨て場は、玄関を出た少し先の電信柱の下にあったはずだ。けれど、そういえば利用した覚えがなかった。何か違う手順があるのだろうか。
「うちのごみは信頼できる専門の業者さんに任せているのですよ。先程お呼びしておいたので――もうじきいらっしゃる筈です」
「呼んだって――今、深夜の三時過ぎですよ?」
「ええ。丁度、営業時間なんです」
どこまで深夜営業の業者なんだろう。迷宮通なら何でもありなのかもしれない。死体が転がっていても不思議じゃない場所だ。こんな時間の客人の到来にそわそわしていたら窓の外――遥か下のほうから小さな物音が響いた。ノックというより、ボールみたいな弾力のある物体が窓ガラスにぶつかるような不思議な音だった。
「どうぞ」
先生が窓を開けて招き入れるような手真似をする。熱をはらんだ外の空気に混じってひゅう、とつめたい風が吹き込んできたような気配がした。
「七五三君、眼鏡」
「あ。はい!」
急いで先生に頂いた鼈甲フレームの伊達眼鏡をかけてみたところ、そこには大きな口のついた、ボーリング玉くらいの大きさの薄緑色の肉の塊がちょこんと鎮座していた。よく見ると下の方に小さな足が二本生えている。明らかに『こちら側』の存在じゃない。
「……こ、こちらの方は……?」
「先程お話した信頼できる業者の方です。さあさあ、お願いしますよ」
『アイワカッタ、マカセロォ』
先生が、そっとその『業者さん』にビニール袋を差し出す。
次の瞬間。
「ひぃっ――!?」
宙に浮いたビニール袋が、ごぉっと蒼白く燃え上がる。
乾燥した木造建築内で上がった火の手にぼくは思わず飛び退いてしまった。けれど、至近距離で燃えているはずなのに不思議と全く熱さを感じない。先生も相変わらず無表情で、平気な顔をしている。『業者さん』は平たい歯がずらりと生え並んだ口をめいっぱい開くと、青い業火の塊ごとそのままばくんと呑み込んでしまった。
再び――探偵舎内に暗闇と静寂が戻ってくる。
「いつも有難うございます」
『――マイドアリィ』
葉っぱの包みのようなものを幾つか手渡し、先生が恭しく頭を下げたのでぼくもそれに倣う。『業者さん』は応えるように膝部分を少し折り曲げておじぎのような仕草をした後、窓の隙間からするりと去っていった。
「ああ、びっくりした。良い方でしたね」
「ええ。お仕事も迅速ですし、毎回お世話になっています。……うちは呪詛に関する物品を扱っているので、通常の方法で処分するわけにもいかないのですよ。体の一部などは特に危険です。『藁人形』や『ぬいぐるみ』の中に呪いたい者の髪の毛や爪、歯を入れ込む――という話は君も聞いたことがあるでしょう。敵意ある者の手に渡って術の媒介にされては困るので」
「――先生はいつもこんなことを?」
「ええ。いつもです」
七五三君も気を付けてくださいね、と念を押される。どう気を付ければいいのか分からないけれど、とりあえずこくりと頷いておいた。
明日は休みだ。なんとなく眠る機会を逸してしまったぼくと先生は、どちらともなく肩を寄せ合い、ゆっくりと傾いていく半月をただ眺めていた。
遠い夜明けの気配を、辿るように。
幕間「かみにまつわる」その一(終)
その二に続く
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