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都九見さんが書庫のあちこちから淀みなく参考文献をピックアップする。棚にある全ての資料の位置と内容を完全に把握しているらしい。『上代仮名言葉探究』という分厚い本を広げながら、准教授は続けた。
「髪の毛の『髪』と、神様の『神』。この二つがどうして同じ音で表されることになったのか、想像はつくかい?」
「そうですねぇ――髪の毛は人の『上』から生えてきますし、神様は天つ国の『上』にいらっしゃるから、でしょうか」
それらしい共通点を見つけ出す。都九見さんは、肩越しに頷いてみせた。
「ふふ、特訓の成果が出ているじゃないか、七五三君。
もっとも奈良時代頃には「ミ」の発音は二種類存在して、神の「ミ」と、上や髪の「ミ」は別の音だったんだけどね。つまり、言語学上元々これらの言葉は同一の語源を持つわけじゃなかった。
けれど時代と共に言葉が大きく変容していく中で、『カミ』という発音の中に幾重もの観念を内包させて、逆に同音で複数の意味付けを数珠繋ぎしようとする者達が現れ始めた。音や名を、他者の認識を縛る手段に仕上げたのさ。こうした言葉による連鎖的な意味付けこそが『呪』の源流というわけ。
短歌や和歌の『掛詞』のようなものだね。ある音が、複数の意味を持つ。世の裏見ては恨み募らせ、五月雨に心乱れる。田の作物が甘く豊かに育つようにと天に祈念し雨乞いをする。言葉を媒介にして、複数の観念が見事に結び付けられているのさ」
確かにそうだ。身近な例だと今でも階数や部屋番号を決める時に、人は死を匂わせる四の数字や、苦を想起させる九の数字を避けがちだったりする。音と意味による呪縛。
常日頃からツグセンの寒い駄洒落や、連想ゲームみたいな唐突な謎かけに慣らされているから――不思議とすとんと理解することが出来た。知らない間に随分鍛えられているらしい。
「駄洒落のようだけど『呪』を考える上ではきわめて重要なことなのさ。と、ここまではいいね。つまり呪術的な切り口では、人の内側から生えてくる髪には人の精神が宿っている――そういうふうに捉えられるというわけ。魂の一部なのさ」
だからこんな物が存在するんだよねぇ――と言いながら都九見さんがいそいそと古い桐の木箱を取り出してくる。白い手袋を嵌めて注意深く開かれた蓋の下から現れたものは――あまりにも禍々しいオーラを放っていて。部屋の空気が急に重くなった気がして、ぼくは思わずうめき声を上げる。
全身にびっしりと釘や針が打ち込まれた木彫りの人形。うっすらと墨で何かの文字が書かれた首と胴体部分に、食い込まんばかりの勢いで細い黒紐のようなものがぐるぐると巻きつけてある。よく見ると紐だと思ったものは――人間の長い髪の毛だった。どう見ても呪いの儀式に用いたものだ。
「ぼく霊感はあまり無いはずなんですけど……見るからに嫌な感じがしますね」
「最近K地方の神社で貰い受けて、資料として蒐集したものの一つだよ。術者も対象者も既に亡くなってしまったらしい。これを作り上げた人物は、この黒髪の主が憎くて憎くて堪らなかったのかな。『髪』を媒介にして相手の『精神』を脅かしたのだろうね」
にわかに背筋がぞわぞわしてきたので、ぼくは木彫りの人形から急いで目を反らした。これ、ツグセンは平気なんだろうか。そもそも研究資料とはいえ、こんな物騒な品を大学構内に持ち込むなんて、
「大丈夫。万世君が解呪済みだから♪」
人の思考を読むな、都九見め。
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