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木箱の蓋を元通りに閉じると、都九見さんはさらに続ける。
「ね。恐ろしいだろう。髪を用いた呪い。
だからこそ、古の頃から櫛や簪、髪飾りの類が特別な力を持つ品として大切にされてきたんだよ。頭部を、敵対者や大いなるものから守護するためにね。『古事記』でも伊弉諾尊が黄泉国へ行く話で、湯津津間櫛という自分の櫛の歯を折って火を灯したり、櫛の歯を投げて追手を退けるチャンスを作ったりしていたでしょう。神代の頃から、生死を分ける最重要アイテムだったのさ」
その神話ならぼくも知っている。
火の神を生んで亡くなった妻の伊邪那美命に逢いに行く為に、伊弉諾尊という神様が死者の国を訪れる話だ。妻には逢えたものの、死に囚われて醜く変貌した彼女から慌てて逃げ帰る羽目になった。死というものは恐ろしい――愛し合う夫婦の神様でさえも、等しく容赦無く別つのだから。
「神奉りの儀礼の時に巫女や巫覡が髪を結って髪飾りを身につけているのもそう。彼らは神霊を身に宿さなくてはならないから、髪を常とは違う特別な形に飾り立てて目印にしたんだ。日本各地の巫女土偶にその名残が残っているね。
というわけで、万世君のような術師にとっては――まさに『髪』は命脈そのものなのさ。ひとつ間違えると精神を侵されかねないからね。――理解出来たかい?」
色々なピースが頭の中で繋がっていく。
万世先生が外出する時にいつも決まって何かしらの帽子を被っていらっしゃるのは、頭や髪を守る為なのだろう。以前、恒河社の八壁さんというライターに取材を受けた時には「邪視避け」とおっしゃっていたっけ。
心の奥底からふつふつと湧いてくる熱。
目の表面の粘膜にうっすら涙の膜が張る。
先生は特に何もおっしゃらなかったけれど、このぼくにそんなにも重大な役割を委ねて下さっていたなんて。先生の深遠なお考えは分からないけれど、少なくともぼくのことを信用して、髪を切ることを許して下さったのだ。長年の付き合いのツグセンにさえ切らせなかったのに、ぼくには任せてくださった。
そのことが素直に嬉しい。
「――七五三君」
「へっ? あ――」
目を閉じて感動を噛みしめていたら――気付くのが一瞬遅れた。
すぐ傍に、都九見さんが近寄ってきたことに。
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