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大学構内の喧騒が、遠くなる。
もう殆どの学生は下校し始めているに違いない。特にレポートも無いこの時期に文学部の研究棟に居残るメンバーは数少ない。この研究室だけが、異空間に放り込まれてしまったような妙な感覚に襲われた。
互いの頭髪を探りながら、奇妙な睨み合いが続いている。
まるで地獄のヘッドスパ合戦だ。傍から見ると訳の分からない光景に違いない。確かに訳は分からないけど――少なくともぼくは至って大真面目だ。
一体何やってるんだろう、という思いが頭をよぎるけれど、そこで我に返ってしまったら負けのような気がした。
「ツグセンって去年からずっと髪型変わらないですよね。時々切りに行ってるんですか?」
「あっはっは。私の髪、形状記憶だから♪」
さっそく反応に困る冗談を飛ばしてくる。
ゆるやかにウェーブした総白髪。凍てついた冬の針葉樹林みたいな白銀色の髪を指で辿る。そういえばこの人、鬼戒村の温泉で一緒になった時、髪だけじゃなく全身の毛も真っ白だったよな――なんて至極どうでもいいことを思い出してしまった。ただの若白髪だとばかり思っていたけれど、違うのだろうか。
「……気になるかい、これ。生まれつきだよ?」
お揃いだねぇ、とはにかむ。またもや心を読まれたようでむっとする。
「染めたわけでも老けたわけでもない。うちの家――時々私みたいなイロモノがぽんと出るんだよ。遺伝だね。どう? 格好良い?」
「気が散るので少し黙っててもらえますか」
「あぁん意地悪ぅ♪」
気持ち悪い声出すな! と咎めたら鼻で笑われた。完全に遊ばれている。指に絡みついてくる銀の髪は一本一本が金属の糸みたいに芯を持っていて、毛先まで自信に満ちている感じさえした。いちいち主張が激しい。確かに――こうしてみると、髪は持ち主の精神性を如実に表しているのかもしれないなとあらためて思う。
そういえば。散髪の為に万世先生の濡れた頭髪を、指の腹で辿った時のことを思い出す。あの時は、ぬるくて浅い暗がりの沼をいつまでも掻き分けているような感覚だった。寄る辺なく途方もない感じはしたけれど、不安な感じはしなかった。心地よかった。肌馴染みの良い、秋口の夜の空気みたいで。
「君。万世君のこと考えたでしょう。イケナイなあ」
「えっ、あっ――えっ!?」
「ははっ、図星か。案外、解ってしまうものだね」
長い指がぼくの金髪頭をわしゃわしゃ掻き混ぜてくる。まさか。ぼくの思考が髪ごしにツグセンに伝わってしまっている? それともただ僕の表情変化を目ざとく読み取っただけなのか? 心理戦に長けたこの准教授なら、読心術くらいやりかねない。
「それで、他に――何か解ったんですか?」
「……そうだねぇ。七五三君は、一図な頑張りやさんだね。誰も見ていないようなところでも、こつこつ努力出来るタイプだ。面倒見はいいけれど、意外と頑固なところもあって、決めた相手にしか本当の意味で心を開こうとしない。あと苦労人体質だよね。何でもかんでも必要以上に抱え込んでしまうところがあるよ。小さい頃から何度も苦境に立たされてきたんじゃないかな。あとさ……」
占い師みたく淀みなくすらすらと指摘してくる。驚くことに結構当たっている。す、と耳の横の毛を梳き上げると、准教授が耳元で低く静かに囁いた。
「――何か秘密を、隠しているでしょう?」
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