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「イチさん。こんにちは」
「おお、おぬしか。久しいのう。こんなところまで来て。今日は何の用じゃ?」
バラックや空き家が目立つ、六の筋の一角。目の前の勇壮ないでたちの老猫――イチマルさんは、私より二回りほど大きな体をゆっくりと動かしながら出迎えてくれた。
彼は六の筋から九の筋までのリーダー格で、私の有力な情報提供者だ。メインクーン種特有の四角い顔立ちに、筋肉質な縞模様の体つきをしている。彼はめっぽう喧嘩が強く、カリスマと腕っぷしでアマタ町界隈を昔は一匹で治めていたという伝説の持ち主だ。おまけに頭も切れる。
しかし私が来た頃の抗争で右足を負傷して以来、第一線は退いてしまっている。
「アマタ町で猫たちが次々に連れ去られています。イチさんほどの情報通なら、もう何か掴んでいらっしゃるでしょう」
言いながら、私は手土産として干した魚を三匹、イチマルさんの前の地面へと置く。思わず唾の出るような濃厚で芳しい魚の香りが辺りに漂った。
「土産はいいといつも言っておるじゃろ。まぁいい、野良の子たちに分けるよう、あとで部下に言っておくとするよ。それより――」
イチマルさんの表情が不意に真剣なものに変わる。首から胸元の立派な毛並みをなびかせながら、こちらを向き直った。
「今回の件、急いでいるんじゃろう? 依頼か」
「ええ。猫探しを。イチさんにはお見通しですね」
「ちょうど部下たちに調べさせておったところじゃ。連日アマタで『飼い猫』が消えておる。把握できるだけでも、今月に入ってから十五匹――それもオスばかり。前にも別の町で同じような事があったと聞いておる。となると考えられるのは――」
「『猫獲り』、ですね」
「流石じゃのオクラ……わしもそう見ておる。抗争で傷だらけの我々野良ではなく、体に傷が少ない上にか弱い『飼い猫』のオスを狙っておるのじゃろう。皮をとるために」
イチマルさんは自らの傷跡を示してみせた。成程――言われてみると、アマタ町の野良は他の町に比べて、明らかに傷跡のある猫が目立っている。そして大切にされている『飼い猫』のメスは、そろって腹部に手術の痕があることが多い。それで『飼い猫』のオスばかり狙われているというわけか。
「警戒されていたのか中々足取りが掴めなんだが、縄張り全域を見張らせてようやく連れ去りの現場を目撃することが出来た。場所までは嗅ぎつけたが、この足じゃろ」
「私が行ってきます」
「オクラ。お前は無理をしすぎるところがある。良く働いてくれるのはいいが、深入りしすぎるとお前の命にも関わる。抗争の時だって、わしの代わりに足を失くしていたかもしれんぞ」
「お言葉ですが――イチさん。あの頃より、私も成長しました。『探偵』として『猫』として、正しく状況判断し、自分の身は自分で守ります。この爪にかけて、事件を解決してみせましょう。町の平和は、誰かが取り戻さなくてはなりません」
胸を張って、首元の鈴をちりんと鳴らしてみせる。
イチマルさんは額に寄せていた皺を緩めると、
「そうじゃったな。おぬしももう一猫前じゃ。あまり心配ばかりしておっては、逆に無礼にあたるか。
『猫獲り』は――オスの人間じゃ。九の筋の工場跡におる。勘違いだといいのじゃが、かすかに血の匂いをさせておったそうじゃ。目撃した者を、案内役につけよう。危ない時は遠慮せず合図しておくれ。わしの部下たちがすぐに増援に向かおう。街の代表として――どうか同胞たちを救い出してやってくれ。『探偵』よ」
イチマルさんほどの偉大な方が、私に向かって深く頭を下げている。
私は目頭が熱くなるのをこらえながら、丁重に礼を述べると、イチマルさんの部下と共に、示された現場へと急ぐのだった。
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