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全く同じ質問だって?
「その方にも『髪の毛はどうやって処分するのか』って聞かれたんですよ。自分で片付けたいとまでは言いませんでしたけど……普通に専門のゴミ処理業者さんに委託してると答えたら『どこの業者ですか』『どのタイミングで回収に来るんですか』って割としつこく食いついてきて。
初めて毛先のカットにいらした方で、他にも変な質問ばかりしてくるお客さんだったから、覚えています。――お客さんに対してこういう言い方するのは気が引けるんですけど、正直ちょっと気持ち悪くて」
確かにいささか不気味だ。人のことは言えないけれど、普通ならあまり掘り下げないような内容に違いない。
「他にはどんな質問を?」
「それが――覚えている限りだと、殺してやりたい程憎い人はいるかとか、もし何でも罪が許される世界になったならどんな犯罪をしたいかとか、色々。そういう訳のわからない質問だけならまだいいんですけど」
「初対面なのにめちゃくちゃ不穏な質問ですね」
「……私の名前とか、どうしてその職業を選んだんだとか、家族構成とか、とっている新聞とか、そんなプライベートなことまで聞き出そうとしてきて……新手のナンパか勧誘? って疑ってしまいました」
なになにナンパの話?! と呼んでもいないのに五夢が横から勢いよく割り込んできた。ナンパ師の血が騒ぐらしい。
「そいつ、ハラちゃんのこと口説こうとしてたんじゃね? もしくは宗教勧誘かも。ヤバいストーカーとかじゃなきゃいいけど」
「その後、身辺に変化はありませんか? もし危なそうなら、風貌とか詳しく教えて頂ければうちの探偵舎で追跡しますよ」
「いいえ、特に実害も無いし、その方がいらっしゃったのもそれっきりなので大丈夫だとは思います。単に質問好きのお客さんだったのかもしれません。
――でも変なんですよね。私もオーナーも、職業柄お客さんの顔を瞬時に覚えるのが得意なんですけど……どういうわけか、そのお客さんの人相が全然思い出せないんですよ。断片的なお話の内容と、カラフルなフーディーを着た男性だったってことしか覚えていなくて。そんなに前のことでもないし、悪い意味で印象的だったはずなのに。記憶がそこだけ抜け落ちてしまったみたいにモヤっとしちゃって」
お疲れ気味なんですかねー、と笑う。
『認識汚染』というフレーズが何故か頭を掠めた。
カラフルなフーディー。つまりはフード付のトレーナーかパーカーを着ていたのか。そういえば五月頃に訪れた三駅先の骨董市で偽物の虫眼鏡を売っていた男性もそんな格好をしていたよな――と懸命に記憶を手繰る。マスクをしていて人相は分からなかったけれど。服なんて毎日着替えるものだから単なる偶然の可能性は高いけれど、もしかしたら関係あるかもしれない。
他に聞かれたことや思い出せそうなことは無いか聞くと、美容師のお姉さんは難しい顔でひとしきり唸った後、
「あ――そういえば、他にもこんなことを聞かれましたね。
『黒づくめの格好の無表情な男性がこの店に来たことはないか』って。意味がよく分からなかったので適当に流したんですけど……それって死神か何かですかね?」
「黒づくめ……無表情……の男性」
「あら。心当たりが?」
「心当たりも何も――」
思わず息を飲んだ。
浮かび上がる泡のように、ただ一つのイメージが像を結んでいた。
ぼくの同居人――七十刈 万世先生。
慌てて五夢のほうに振り向くと、彼もどうやら全く同じものが浮かんだらしい。
「それ、カピセンセのことだったりして? まさかねー」
軽い調子で笑う親友。でもぼくはちっとも笑えなかった。危ないので今は頭を動かさないでくださーい、という美容師の原さんの静止の声が遠くのほうで響いていた。
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