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「……痛」
珍しく万世先生が針と糸を手に縫い物をしていたので、そーっと様子を窺っていたら案の定、地味な悲鳴が聞こえてきた。術に使う布人形を作ろうとして、指の先に思い切り針を突き刺してしまったらしい。
やっぱりこの人は放っておけない。優秀な住み込み助手であるところのぼく――七五三 千は救急箱を抱えてさっとレスキューに駆け付ける。
「先生! 大丈夫ですか! お怪我は」
「平気です。少し針で刺しただけなのですぐ塞がりますよ」
「いいえ。用心に越したことはありません! 傷口からばい菌が入ってはいけませんから!」
あっという間に傷口を消毒され左手を包帯でぐるぐる巻きにされた先生は、ぺこりと頭を下げつつもどこか不満げだ。
「……動きづらい。七五三君は大袈裟すぎるんですよ」
「先生ったら。縫い物くらい言ってくれたらぼくが手伝うのに! もっと助手を使ってくださいよ。先生の為に家事スキルをマスターしたと言っても過言ではありませんから! 先生をお助けしてこその助手です。折角こうして一緒の家にいるんですから。ねっ!」
「――君には十分やってもらっています。このくらい自分でしますよ」
そう言いながらも万世先生の手先は危なっかしくて覚束ない。『なぞ』解きに能力値を傾けすぎているのか、生きる為の他全てが致命的に欠けていらっしゃるのだ。先生達のような『なぞ筋』は大抵そういうものらしい。
「それに……これでは力が半減してしまいますし」
包帯の手を見つめながらよく分からないことを言う。
そういえば先生はいつも凄い力や術を駆使して色んな呪いを解いているけれど、実際にどういう能力を使っているんだろう。特別な力でも持っているんだろうか。素人のぼくにはよく分からない。
血の匂いを嗅ぎつけてか、探偵猫の億良もキッチンに姿を現した。家主を心配しているのだろう。包帯をくんくんと嗅いで、先生の左手にすりと頬を寄せた。
「にゃあ……」
「ほら。億良だって心配してますよ」
いささか表情を和らげた先生が、包帯を巻いた左手で億良の頭を撫でようとしたので、慌てて右手に換えさせる。億良は綺麗好きなので毛が抜けるようなことは殆どないが、念の為だ。
そう言えば。
万世先生も人並みに痛みを感じるんだな、という事実に何故か安心した。先生は日本人形みたいな雰囲気だし、呪いやこの世ならざるものの相手を生業にしているせいか、どこか浮世離れした存在のように思えることがあるから。
その時。リン、と控えめに。しかしどこか切実な呼び鈴が響いた。
我ら『七十刈探偵舎』への、依頼だ。
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