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女性は何かが怖いのだろう。きょろきょろと周囲を見回しながら、小刻みに肩を震わせている。
先生も異変に気付いたようだ。質問を続ける。
「怖い事が起きそう――というのは具体的にどういう感じでしょうか?」
「にゃあん」
少しでも緊張を和らげてもらおうとしてか、依頼人の隣にすっと億良が近寄る。猫嫌いや猫アレルギーで無さそうなことを確認した後、気遣わしげにごろごろ喉を鳴らしながら体を擦り付ける。彼女の頭を撫でているうちに、ビロードの毛並みが功を奏してか依頼人の気分も落ち着いてきたらしい。
「一度旅行であの子を置いて行ったことがあるんです。そしたら、旅先で大きな事故に巻き込まれかけたし、その夜物凄い悪夢を見たんです。あまりに怖すぎて、とんでもない夢だった事しか覚えてないんですが」
「……そのぬいぐるみは、子供の頃からずっと一緒だったとおっしゃってましたね。どういう経緯で貴女のもとに来たのですか?」
「それは……すみません。小さい頃の記憶なので、全然覚えてなくて」
「分かりました」
先生は納得したような表情を見せている。
何かが分かったのかも知れない。
「でしたら、後日。そのぬいぐるみを見に行きますので、日程を調整して頂けますか。出来るだけ早めがいいですね。
――あと。こちらは僕の助手ですが、彼も連れていきます」
ぼくは万世先生から正式に『助手』と紹介された事を聞き逃さなかった。感激のあまり跳び上がって隣の先生に抱きつきそうになったが、依頼人の前なので衝動を堪えてとりすました顔を浮かべる。
先生がぼくを認め始めている。先生の中で、日に日にぼくの存在が大きくなっているのが感じられて、たまらなく嬉しい。立派に役立てる存在として認識してくださっているのを、ぼくはこの言葉から確信した。
「えぇっ、この方も来られるんですか!? わ、分かりました……! では、またご連絡します!」
その言いながら女性は慌ただしく帰っていった。
入れ替わるように、暫くして常連客の二月 五夢――ぼくの親友兼、探偵舎の協力者だ――がやって来た。
「今、女子がめっちゃ恥ずかしそうに迷宮通から出てったけど、何かあった?」
ぼく達に特に思い当たる節は無いが、先程の経緯を彼に伝えたところ、
「そりゃミルミルが家来るってなったら女子は焦るでしょ~! 今頃必死に部屋片づけてるんじゃないかな?」
五夢はなるほどという表情を浮かべてニヤニヤしているが、当のぼくや先生には何のことかよく分からなかった。
「とにかく、依頼人からの連絡を待ちましょう」
先生が言うと、怖い物好きの五夢がきらきらした目で先生を見つめ始めた。『連れて行ってほしい』オーラ全開だ。
「……二月君も来ますか」
言い終わる前に、我が親友は先生の肩を抱いてガッツポーズを決めていた。
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