第十五話「わたのこころ」~呪いのぬいぐるみ~

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 そう言うと、先生は右手の黒手袋を歯で引っ張って外し、左手に巻かれていた包帯も雑に外してしゅるりとその場に打ち棄てた。  そのまま手のひらで包み込むように、乳歯を包んだ白い布と、ぬいぐるみを包んでいた灰色のモヘア生地に触れる。  すると、黒いもやのようなものが勢いよく手のひらの間から溢れ出し――万世(まよ)先生の体をみるみる間に取り巻いた。  この光景は以前にも何度か見たことがある。『鬼戒村(きかいむら)』でご神木の呪いを解いた時も、こんな感じのもやが立ち上っていた。ということはこれは――ぬいぐるみに込められた呪念が形となって(あらわ)れたものなのか。  黒いもやの中に包まれて、先生の姿がもう見えない。  大切な人が、また危険に身を晒そうとしている。  そう思うと居ても立ってもいられなくなってしまったぼくは、衝動的にもやの中に飛び込んでいた。  その瞬間、意識がかすみ、目の前が――みるみる白く明滅する。  その先で、まるで夢を見ているように次々と繰り広げられるイメージ。急ブレーキのようなけたたましい音。悲鳴。サイレンの音。 『ドウシテ』 『ドウシテ私ダケ置イテ行カレタノ』 『ドウシテアノ子ガ死ナナクチャイケナカッタノ』 『ドウシテ我ガ子ヲ失ワナクチャイケナイノ』 『アイツガ、アノ子を誘ワナケレバ』 『アイツサエ居ナケレバ』 『アイツガ生マレテ来ナケレバヨカッタノニ――』  泣き笑いのような鬼気迫る表情を浮かべながら、見下ろしてくる若い女性の姿。誰だ?――と思っていたら、いきなり押さえつけられて、腹を乱雑に針で突き刺してきた。何度も何度も。糸で縫われている? ぼくは、ぬいぐるみか何かになっているのか? でもどうして。  なんだこれ。なんだこれは。 『駄目ダヨ。――ソンナコト、絶対ニ、駄目』  耳元でリアルに響いた幼い少女の声に、ぼくは驚いて飛び上がる。 「――いやっ、ぎぇっ、うわぁぁぁっ!!!!?」 「七五三(しめ)君?! しっかりしなさい!」 「お腹がぁ! ぼくの、お腹が縫われてぇ!」 「落ち着いてください。……君の身には何も起きていません。息を吸って、ゆっくり周りを見渡して」  気が付くと、またマンションのベッドルームの風景に戻っていて、ぼくは先生の痩せた背にしがみついて必死に叫んでいたようだった。 「あれ……ぼく、何して……? そうだ、先生こそ大丈夫なんですか!? 黒いのがもやもや~って! なんなんですかあれ! あの女の人は、誰なんです?」 「……! ()えたのですか、君にも」 「? はっきり視えましたよ」 「……そんなことは。まさか――」  無表情ながら、先生が何故かとても驚いた表情をしている。  どういうことだろう。何かおかしなことを言っただろうか。 「説明はあとです。――前後不覚のところ悪いのですが、この子を元通りに繕ってはもらえませんか。最後の仕上げです」  僕はこういうのは不得意ですので、と言いながらくたくたになった布と、乳歯を取り除いた後の綿のかたまりを差し出してきた。 「ええ、もちろん!」  くらくらする頭を醒ましつつ、先生に頼みごとをされた嬉しさで、ぼくは二つ返事でぬいぐるみの修復にとりかかったのだった。
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