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二つの念だって?
ぼくは黒いもやの中で聞こえてきた二つの声を思い出していた。
「……心優しい子だったのでしょうね。母親は依頼人のことを呪い殺したいほど恨んでいたようですが、それは叶わなかった。亡くなった子が、そうさせなかったのですね。母親の怨憎と子の優しさがせめぎ合っていたんです」
小さな綿の体の中で、壮絶な戦いが起きていたのか。
同級生の子の気持ちを想像する。友達に喜んでほしくて一生懸命作ったうさぎのぬいぐるみを、その友達を脅かす為の呪いの核にされてしまうなんて、きっと辛すぎる。自分のことで大切なお友達を殺されたくなかっただろうし、自分の母親に罪を犯してほしくなかったに違いない。
「ですが、生きている者の念と違って、亡き者の念は特定の場や物を離れることが難しい。だから彼女がぬいぐるみから離れると、護りの力のほうが薄れて体に何かしらの不調が起きたり、危険が近づいてくるわけです。だからここに来た時に歯痛が起こって、七五三君のお茶が飲めなかったのでしょうね」
そういえば右頬を押さえて顔をしかめていた。
いつもながら、万世先生は本当に細かい部分までよく見ている。『儺詛』――すなわち分かち難く複雑に入り組んでしまった呪詛の類を解き明かす為の予備動作に過ぎないと、当人は言うけれども。やっぱり先生は凄い。この人からは学ぶことが沢山ある。あらためて、傍についていきたいとぼくは心に誓っていた。
「……あの方達が知ることはなくても、あなたの戦いは僕たちが確かに見届けました。今まで良く頑張りましたね。ゆっくり休んでください」
先生が、労わるような手つきでぬいぐるみの頭を優しく撫でる。
やわらかい光が安堵したように澄んだ秋の夕焼け空にゆらゆらと吸い込まれていくのが、眼鏡越しのぼくの目にもくっきりと映っていた。
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