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探偵舎に帰宅すると、先生がいきなり玄関で塩を撒いてきた。
清めてくれているのだろうけれど、何故か塩のかかった部分に少しちりっとした痛みを感じた気がして、ぼくは慌てて飛び退く。心配そうに見つめてくる先生の表情がレアだったので、痛みなんてすぐに吹っ飛んでしまったけれど。
「ところで先生。あの黒いもやでの事。ちゃんと教えてくださいよ」
「――そろそろ、君には話しておかねばなりませんね」
緩慢な動作で黒いインバネスコートを脱ぎながら、先生がこちらを振り返る。すっ、と掌を掲げてぼくのほうに差し出してきた。
「『万視万掌』――そう、師は呼んでいました。
呪の核にこの手で直接触れることで感応し、『どうしてそうなったのか』という『因果』の様相を視る『因果視』の一種です。種類は様々ですが、僕らの身には生来のそうした仕組みがあるのですよ。無論いつも視えるわけではありませんし、記憶や思考まで辿るようなことは出来ませんが」
ぼくの『心の先生メモ』を手繰って先生の行動を思い返してみる。そういえば、何かにつけて万世先生は――相手に直接手でぺたぺた『触れて』いた。指先で。掌で。元々距離感のちょっと独特な人だから、あまり気にとめていなかったけれど。
あれはまさか――そのたびに、呪の『因果』を視ていたのか?
「黒いもやは、呪念が具象化したものです。普通の人には視えていません。七五三君は、他人の想念と感応する力が強いほうだとは思っていましたが――僕の至近距離に居続けた為に巻き込んでしまったのですね。すみませんでした」
すぐ傍に居たぼくは、先生と共鳴して同じイメージを視てしまったようだ。多分距離だけじゃないと思う。ぼくが先生に心寄せて、日々同じ釜の飯を食べて生活を共にしているのも大きいに違いない。先生と同じ世界が視られるなんて嬉しい! ――と普段のぼくなら狂喜乱舞しているところだけれど。ぼくはある疑念にとらわれていた。
ちょっと待て。
この人――ぼくと初めて出会った時も。
こうして一緒に一つ屋根の下で暮らしながらも。
ぼくとさんざん触れ合っている。
ということは。
「本来、呪術師が自らの能力を他者にぺらぺらと披露することはありません。手の内を知られる事は命取りですから。ですが、君には話しておいたほうが良いと判断したので――明かしました」
「……ありがとうございます。ねぇ、先生――?」
「七五三君?」
浮かない顔のぼくを、またどこかしら心配げに見上げてくる。本日二度目の貴重な心配顔をすかさずカメラにおさめながら、ぼくは先生の硝子玉みたいな目をスマートフォンのこちら側からじっと見つめ返していた。
「先生は、ぼくのこと、どこまで視えていらっしゃるんですか」
「……知りたいですか」
「…………」
「七五三君。君は――……、むぐ」
先生が何か言おうとして口を開きかけたところで、やっぱり答えを聞くのが怖くなってぼくは思わず先生の口元を掌で素早く塞いでいた。
二の句が告げないまま酸欠になりかけている先生と、どうしても続きを言わせたくないぼくは、億良に発見されて叱られるまで、廊下で暫くその姿勢のまま不格好に見つめ合うことになった。
結局、まだ答えは聞けていない。
『数多町七十刈探偵舎』
第十五話『わたのこころ』(終)
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