第四話「いつつばし」~呪いのミステリーナイト~

11/14
前へ
/318ページ
次へ
 アマタノオロチ。またとんでもない単語が飛び出してきた。 「奥出雲のヤマタノオロチ伝説が比喩だとして、同じような大規模水害が古代の数多町(あまたちょう)でも起こっていた形跡があるんです。現在の数多町市街地にはご覧の通り水場や河川は残っていませんが。ね、蘇部(そべ)さん」  ゲスト席の考古学者が、がさごそと資料を取り出す。 「せやねぇ。ツグさんに言われてここらへんの地層データ引っ張ってきたけど、全域で砂や(れき)の層の割合が多くて、しかも粒の大きさがまちまちやったわ。水流とかで短期間のうちにどっと押し流されて出来た扇状地やとこういう特徴になるねんな。それがちょうど千五百年くらい前の地層からやねんな。山間部の岩も流紋状のもんが多いみたいやし」  蘇部(そべ)さんがちょび髯をいじりながら答える。 「どうも有難う、蘇部(そべ)さん。  あと数多町の北西部、西部の山にはそれぞれ龍神様が祀られていますね。龍神様の多くは元々水の化身と考えられています。大きな川や泉、湧水地と非常に関わりが深いんですよね。西部の祠は禁足地なので今のところは調査が出来ないんですけど、北西部の古い社については遺跡を調べると成立が古墳時代頃。先程の地層の時期とほぼ一致します」  北西の山は、都九見ゼミで発掘協力のフィールドワークに行ったことがある。立派な龍神像と鏡が祀られていたのを覚えている。 「この事実から分かる状況を整理しましょう。今から千五百年程前。山林集落を集中豪雨が襲い、崩れ落ちた山肌が土石流が土地を押し流した。『アマタの落地(オロチ)』が起こったわけです。そうやって生まれたのが数多町(あまたちょう)の原型です。そろそろ皆さんお分かりでしょう。  今の字が使われるようになるまで、数多(アマタ)の地にはかつて『雨多(アマタ)』という字がふられていたんですよ」
/318ページ

最初のコメントを投稿しよう!

430人が本棚に入れています
本棚に追加