幕間「囮の心」~探偵と准教授の内緒話~

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幕間「囮の心」~探偵と准教授の内緒話~

 盛況に終わった『ツグミステリーナイト』の興奮冷めやらぬ夜八時過ぎ。  観客席の片づけもあるので、ゼミ生の七五三(しめ)君を先に向かわせる。  がらりとした講堂の控室に私と彼――黒づくめの装束の探偵、七十刈(なそかり) 万世(まよ)君だけが残った。近頃避けられがちなので私達だけで会うのは随分と久しぶりだ。彼が意外にも携帯電話を持たされるようになったので、通話は時々するけれど。 「出演承諾してくれた時はどういう風の吹き回しかなと思ったけど」  私はラウンドフレームの眼鏡を外して、スーツの胸ポケットに仕舞い込む。出かける時はいつも欠かさず掛けているものだが、度が入っているわけではないので外しても実は支障がなかったりする。私の視力が二.〇を超えていることを知る者は数少ない。 「何か掴んだのかい」  壁を背に佇み、万世(まよ)君は黙って俯いたままだ。彼の和風人形のような小作りな面立ちや、ひらひらした真っ黒な時代物のインヴァネスコートと黒装束も相まって、奈良時代あたりにシルクロードから渡ってきた調度品の置き物にすら見える。けれどまったく上の空というわけじゃないらしい。『なぞ』を解くのに夢中になっている時と違って、ちゃんとこちらのことを認識している気配がする。 「んー寂しいなぁ。じゃない?」  壁際に近付き、二十センチ弱ある身長差を利用して彼のふわふわした頭への距離を詰めようとしたら、すっと腕の下を抜けて機敏にかわされた。ほーら、やっぱり聞こえてるんじゃないか。 「……都九見(つぐみ)さん」  反応を引き出せたことに内心ほくそ笑む。 「極力関わらせたくないんですよ、貴方を」 「関わるかどうかは私自身で判断するさ」  にこやかに告げると、二つの目に不信感を(みなぎ)らせながら見上げてくる。 「――今の反応でもう分かったから、無理に答えなくてもいい。君は無表情なようでいて態度に分かりやすく表れるからねぇ。昔から」  心外だ、といった顔すらも分かりやすい。長年の生態観察が功を奏している。  なるほど。だからか。 「手を貸しておいてなんだけど、いきなり自分を餌にするのは感心しないな」  目の下の筋をこわばらせ、下唇をぎゅっと噛む。何か抱え込んだ時の彼の癖。 「他に、何が差し出せると?」  思い詰めたような表情。それもそうか。  何もかもが失われてしまった『』以来――彼はずっと囚われ続けているのだ。 「――この『なぞ』は、僕が必ず解き明かします。存在をかけて。誰も巻き込むつもりはありません」  真理をまっすぐに射貫くような、深い翡翠色の瞳。  この子はどうしていつもこうなんだろう。誰よりも賢く聡明なはずなのに、力の無い者たちには決して視えない世界までもが視えているはずなのに、ごく単純で肝心なところがちっとも見えていないのだ。 「万世(まよ)君。ひとつ覚えておいて。  事情はどうあれ、君は『人間』の領域に下りてきてしまった――今までとは違ってね。『人間』ってさ、人の間で生きると書くだろう。君がどう考えていようと、他者や社会とまったく関わり合わずに存在することは、もう出来ないんだよ」  彼が最近うちのゼミの七五三(しめ)君を助手として傍に置き始めたと聞かされた時には、正直驚いた。がらんとした容れ物のようだった万世(まよ)君の内側も、少しずつ変化し始めているのかもしれない。人ならざる者と違って『人間』は環境や時代の移ろいによって変わっていくものだ。同じではいられない。どこまでも頑なだった彼も――あるいは。 「だからさ。また手詰まった時は意地を張らずに頼ってきなさい。取り返しがつかなくなる前にね。君の為だけじゃないよ。私の為でもある。分かっているよね」 「――考えておきます」  憎らしくも可愛らしい我が『切り札』は、ひとつ会釈すると助手の後を追いかけていった。  消えていく黒衣の背中を穏やかな笑顔で見送りながら、私はひとり込み上げてくるえもいえぬ感情を抑え込むのに静かに苦心していた。  幕間「囮の心」【終】
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