430人が本棚に入れています
本棚に追加
新たな依頼人だろうか。期待しながら探偵舎の入り口の建てつけの悪い木製の扉を開くと、
「おじゃましまーす! うっわぁ。ミルの下宿先、レトロで超フンイキあるねー! 映える~!」
ぼくの親友であり噂の渦中の人物――二月 五夢が、玄関前に立っていた。時代を感じる木造平屋建に大はしゃぎしながら、自撮りを残すのに余念がない。嵐のような素早さでつかつかと上がり込んできたかと思うと、居間兼事務所であっという間にくつろぎ始めている。そういえばここに住み始めて間もない頃、念の為にと住所を交換していたのだ。
ぼくは手早く冷えた水出し煎茶と来客用のカステラを用意する。もちろん、先生の分も一緒に。
「どうしたのさ、五夢。急にうちまで来て」
「別に家に上がるくらいフツーじゃん? ボクたち付き合ってるんだから」
カステラをざくざく切り分けながら、いきなり恐ろしい事を言い出したものだから、ぼくは思わずお盆を取り落としそうになった。
「えっ」
「えっ」
「――七五三君。どういうことです?」
と隣で自分もカステラをもくもくと頬張りながら、先生がぼくに冷ややかな視線を向けてきたので、
「いやいや付き合ってない! 付き合ってないから! やめろよ五夢」
「あはは。この人がミルが言ってた『センセイ』かぁ! マジで黒づくめじゃん。なんか食べてる口元、カピバラみたいでかわいー!」
慌ててなだめるも当人は聞いちゃいない。頬を膨らませた先生を物珍しそうに観察している。
「かぴばら、ですか。そんなことを言われたのは初めてですね」
万世先生もちょっと面白がって、ぼくが買い与えたスマートフォン端末でたどたどしく「かぴばら」と検索し始めている。少し前まで携帯電話の概念すら知らなかった先生が、フリック操作で濁点や半濁点まで打てるようになっているなんて、感慨深いことこの上ない。カタカナ変換は今度教えよう。
いやいや。そうじゃなくて!
「あのさぁ、一体どこからぼくと五夢が付き合ってるなんて変な話になってるんだよ! ネットの噂じゃあるまいし」
「うーん? ラヴってなかったっけ? なんかさ、急にそんな気がしてさぁ――言われてみるとヘンだよな。いつ付き合ったか全然覚えてないし、おかしいよな?」
ボク、オンナノコ好きのはずなのに……と首を傾げている。そうなのだ。五夢は表向きは可憐な女の子みたいな外見で売っているものの、実は女性関係が派手で付き合う相手をころころ変えているのをぼくは知っている。女子泣かせな逸話の数々は万世先生にはとても聞かせられない。
「なんかさ。最近やたらエゴサでボクとミルがカップルだとか、あやしいとか、デキてんのかみたいな呟き引っかかるようになったっしょ。話題になって人気とれるならいっかーくらいに思ってたんだけど、ずーっと見てるとだんだん『あれ、本当にそうだったっけ?』ってよく分かんなくなっちゃってさ」
ラインストーンでデコレーションされたケースに収まったスマートフォンの画面には、さっきぼくがうんざりと眺めていたものと同じような検索結果が並んでいた。
「え、でもボクはミルと付き合って――いや付き合ってなくて――うう、あれ。アタマ痛ぇ……どっちだ? どっちなんだ?」
「ねぇ、しっかりしてよ五夢。どうしたんだよ?」
どうも冗談では無いらしい。どういうわけか分からないけれど、このままじゃいけないのは理解できた――彼がぼくのことを好きになってしまったら、友人以上の距離感になってしまったら、大変なことになる。
慌てるぼくを遮るように、先生の腕がすっと伸びてきたかと思うと、そのまま彼の額に白い小さなお札をぺちんと貼りつけた。お札の紙はみるみるじゅわっと黒く染まる。さらに先生は硬直する五夢の手から端末を奪い取ると、右横のボタンを長押しして電源を落とした。
すると。先程まで騒いでいた親友が急におとなしくなった。きょろきょろと周りを見回して、
「あれ? ……ボク、今まで何して――なんでミルん所来ちゃってるんだろ」
「ぼくと付き合ってるから来た、って言ってただろ」
「へっ。ミルとボクが? んなワケないじゃん。大事な友達だし、いくら顔キレイでも生えてたらボクは無理! 抱けない!」
憑き物が落ちたように、元の五夢に戻っている。これはこれで先生にはあまり聞かせたくない発言だけれど、今は目を瞑ろう。
「厄介ですね――これほどまでとは」
「どういうことなんです、先生?」
「噂は、人の念や願望の集合体――いわば増幅しながら拡散していく『呪』です。発信した者の元の念が強いほど、そして噂が広まって信じ込む者が多くなればなるほど、力を増していく――今回は特に『噂が本当になるように』という強力な念が込められているようで、現実の世界にまで影響を及ぼし始めているようです。さっきの彼のように」
背筋に寒いものが走る。だから急に彼は変なことを言い出したのか。ただのネット上の情報に過ぎないと思っていた噂が、ぼくたち自身にまで作用するなんて。そんなことがあっていいのだろうか。
「このまま放置していたら、七五三君や、彼の意識までもが大きく歪められてしまうでしょう。早く対処しなくては」
「うげ。まじかよそれ。噂流した犯人見つけてそいつ締めねぇと」
五夢がコキコキと指を鳴らして拳を固めている。
「締めるかどうかはともかく――先生、もう一度さっきの噂を調べてみますね。SNSでみんなに悪質な嘘の情報を植え付けている犯人がいるのなら、辿れば手掛かりがつかめるかもしれません」
ぼくがスマートフォンを起動してまたFIVESのアカウントを開く。事件はSNSで起きている。だとしたらそこに犯人に繋がる有力な情報が落ちているかもしれない。先生のもとで探偵助手として働き始めてそろそろ二か月、我ながら手際が良くなってきたような気がする。
ところが。手がかりを見つけるより先に、ぼくはもっと恐ろしい情報を目の当たりにしてしまった。
「えー―嘘だろ。何、これ」
ぼくの目に飛び込んできたのは。
『5月27日12:25 美紅@3589991ZR
ツグセンとミル王子、付き合ってるって本当?』
『5月27日12:26 ぽぽん@8821168ZR
マジ。五ツ星祭のトークショーで暴露したらしいよ』
『5月27日12:30 美紅@3589991ZR
えー! 何それ超見たかったんだけど』
ぼくのゼミ担当である都九見准教授とぼくの、口にするのもおぞましい醜聞だった。
最初のコメントを投稿しよう!