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ノックして研究室の扉を開けるとふわりとコーヒーの芳醇な香りが漂ってきた。書物の積み上がったマホガニー材の長机。
悠然と腰かける胡散臭い丸眼鏡の人影。ここの主であり、ぼくの担当指導員の都九見 京一准教授だ。
「賑やかだね、みんな揃って。パーティーかい?」
柔らかくカールした若白髪の前髪をかき上げながら、ちょっと嬉しそうに微笑みを浮かべている。
「もぉーツグセン! オカ研にもそろそろ顔出してよ! 中々来てくんないからみんな寂しがってるし」
「あぁ二月君。そういえば、君と七五三君はオトモダチだったねぇーー五ツ星祭の準備と後処理でばたばたしていてね。近々例会に顔を出すと伝えておいておくれ」
部屋に入るやいなや、五夢が弾丸のように駆け寄って騒ぐ。そういえば都九見さんは五夢の所属するオカルト研究会の顧問もしているのだ。
意外な繋がりに感心していたら、准教授がゆったりと立ち上がって眼鏡越しににやついた視線を向けてきた。
「ところで。重要な急用があってここに来たんだろう? 君たち。万世君まで連れ出してさ。特別課外授業でもご希望かい?」
代表してぼくが答える。
「FIVESに流れている噂のことで来ました。ぼくと都九見准教授がーーその、」
流布されている噂の内容を伝えると准教授は案外けろっとした調子で、
「あぁ。それなら私も見たよ。ツグミステリーナイトで少々煽ってしまったからねぇ。伝言ゲーム方式で、来場していない人にまで誤って伝わっていったのかもしれないね。イケメンは根も葉もない噂ばかり立つからねぇ」
あっはっはと可笑しそうに笑っている。
「でも女性以外で噂が立ったのは七五三君が初めてだよ」
責任感じちゃうなぁ、とわざとらしくはにかんで見せる。
先日、都九見准教授が開催したトークショー『ツグミステリーナイト』。准教授と女装させられたぼくのツーショットを、あろうことか無断で『恋人同士』などと騙って観客全員に晒したあの一件を、ぼくはまだ深く根に持っている。
「完全にツグセンのせいです。どうしてくれるんですか」
「そうだねぇ。――なら、付き合うかい?」
「ひっ?!」
「おやめなさい都九見さん」
万世先生がすっと歩み出て、ぼくのほうににじり寄り顔を寄せて来た准教授を即座に引きはがす。
「あはは。冗談だよ。可愛い教え子だもの。取って食ったりはしないさ♪」
鳥肌を立てるぼくの前で、万世先生が毛羽立った小動物みたいに威嚇している。変人准教授の魔の手から助手のぼくを守ろうとしてくれているのだろう。ぼくのためになんてお優しい。
「ありがとうございます、先生。……この鬱陶しさも呪いの影響ですか?」
「いえ。この方の元々の性格です」
「ひどい言われようだなぁ。愛しく思う気持ちに年齢や性別や種族は関係ないでしょう。誰と誰が深い仲になろうと問題ない――と、私は思っているんだけどなぁ」
色素の薄い蜂蜜みたいな目を細めながら准教授は話し続ける。
「けれど君たちの話では、噂が現実のほうを侵食しかかっているんだよね。その気のない人の心まで操られてしまうのは確かに良くないねぇ」
「そうだよ! ネット上ではクリーンないつむ~みん★で売ってんのに迷惑だわ。このままじゃボク女の子と遊べなくなっちゃうじゃん」
ぼくだって困る。
ぼくにはずっとついていくと心に誓った万世先生という人がいるのだから。余計な噂を流さないでほしい。
それに。元々ぼくは、無理を言ってこの大学に通わせてもらっている身なのだ。友人ならともかく、担当指導員と妙な関係だなんて噂が広まったら『家』に大学を辞めさせられて連れ戻されてしまうかもしれない。そうなったら探偵舎にもいられなくなってしまう。
「それにしても、ミルもツグセンもまだ全然平気そうだよね? なんで?」
「おそらく――えすえぬえすへの依存度でしょうね。二月君、さっきからずっとその板を触っているでしょう」
言われてみれば。ぼくらが話している間も、五夢は繋がっているフォロワーたちに忙しなく返信を打ち続けていた。
「だってSNSの中でセルフプロデュースしてるしさ。こっちがホーム、現実はその続きって感じ。取り上げられたらマジ死にそう」
彼はSNS上での自分のイメージをすごく大切にしているらしい。現実での服装や対外的な言動もかなりネットでのイメージに寄せてきている。
「二月君はイマドキっ子だねぇ。私は業務連絡や告知に使うくらいだよ」
「ぼくは――頻繁に使うけど、探偵舎の宣伝とか日常の呟きくらいかなぁ」
どちらかというと、ぼくはネットごしより現実に流れている時間のほうを大切にしたい。万世先生たちと過ごす日々の時間を。
「油断は出来ませんよ――噂の力が強力になれば、いずれ七五三君や都九見さんにまで影響が出てくる可能性はあります。急いだほうがいいですね」
どこかに邪悪な考えを持ってぼくらの噂を拡散している人たちがいる。ぼくらのことを嫌っている人間の仕業かもしれない。でも、五夢はどうか知らないけど、少なくとも最近のぼくは他人から憎まれたり恨まれたりするようなことをした覚えがない。じゃあ一体誰が何のために――そう思うと、得体の知れなさになんだか背筋が冷たくなった。
「ねぇカピ先生。どうやって解決すんの? さっきみたいにお札貼ってエイヤー! ってするの?」
「――あれは対処療法にしかなりません。生霊と同じで、悪念の元になっている者がそれを続けている限り、事態は良くはなりません。噂の発信源を探って根本から絶つ必要があります」
「ふぅん――それ、本当に出来るのかい? 万世君」
都九見さんが、どことなくぞっとするような挑発的な笑みで万世先生を見下ろしている。
「君も重々ご存知の通り、移りゆく時代に合わせて『なぞ』の形もどんどん進化しているからねぇ。仙人並みに世間からずれている君に果たしてネットの『なぞ』が解けるのかな?」
目測十七センチほどの身長差も相まって物凄いプレッシャーだが、先生は無表情のまま動じない。
「ご心配なく。でーたの瓦版みたいなものでしょう。いくら時代や道具が変わろうと人は人。人の念が生み出した『儺詛』であるならば解けない道理はありません」
「へぇ。随分な自信だね。見物させてもらうよ。お手並み拝見♪」
先生も静かに圧を放ちながら、負けじと上目づかいで睨み返している。この二人は仲が良いのか悪いのか結局いまだに分からない。そろそろ仲裁したほうがいいのかぼくが迷っていたら、
「ひゅ~リアルオカルトじゃんやっべ! ボクにも手伝わせてよ。SNSは庭だしさぁ。カピに色んなテク教えたげる♪ 任せて!」
空気を読まずに二人の間に思い切り割り込んでいってくれた五夢のハイテンションぶりに、今回ばかりは内心で親指を立てる。
さて。やるべきことは定まった。助手のぼくにできることは、先生を最大限お助けすることだ。
「スマホの操作についてはぼくたちがサポートします。協力して『なぞ』を解いていきましょう、先生!」
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