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何らかの異変が起きているのは間違いなかった。
ーーこの、ぼくを中心として。
でも、一体どうして。
ぼくは不安を打ち消すようにいっそう勉強熱心になり、なるべく大学内では人を寄せ付けないようにした。
それでも寄ってくる女の子たちに対しては――可能な限りの率直な拒絶の言葉と、すげない態度を心掛けるようにした。
そうこうしているうちに、
「七五三 千は呪われた男」
「靡かないし塩対応」
「なんなら女子に興味が無いらしい」
「その気にさせておいて女心を弄ぶ酷い奴」
「告白すると不幸になるらしい」
なんて噂があちこちで立てられて、ぼくの周りには次第に人が寄りつかなくなっていた。大学に入ることが出来て、充実した毎日を送れるはずだったのに――いつかの状態に逆戻りだ。
肩を落としながら帰宅したぼくの耳に、また雑音が飛び込んできた。
それも。聞きたくもない、もう一生耳にすることなどないと思っていた――あの女の声が。
「アンタ、どういうことよ! 子供奪うだけ奪っておいてこれ以上金払えないなんて! あれっぽっちじゃ足りないわよ! まだまだ金が要るの。払わないなら、ミルを持って帰るわよ!」
ヒステリックな聞き覚えのある声の主が、家にまでやってきて、やかましく父に金をせびっている。母――いや、あの人はぼくと引き換えにした金で、行き当たりばったりに自分の店を開いたのだと聞いていた。まだ数ヶ月も経っていないのに、店が立ち行かなくて追加で金を要求しに来たのだろう。
大広間の騒ぎを聞いて駆けつけたぼくを見るなり、
「ミル、帰るよ! 荷物まとめてる暇ないよ!」
と噛みつくように言われた。
金でぼくをこの家に差し出したくせに。この身勝手な女に、ぼくはまたもや振り回されようとしている。
「コレはね、アタシが生んだんだ。アタシのもんだよ! アンタらなんかにやるもんか!」
母の腕が、ぼくの腕を掴んで引っ張ろうとしたその時。
ぼくの体は何かに弾き飛ばされるようにして、一瞬仰け反った。
ゴォッ、と風を切るような音。思わず目を瞑る。
次の瞬間。
衝撃とともに、ガシャンーーと大量のガラスを叩き割ったような短く凄まじい轟音が響き渡る。目を開いて、母のほうを振り返る。
床でひしゃげたシャンデリアの下。伸びる、作り物みたいな手足。
海老色の色彩を垂れ流す、ぐしゃぐしゃの、肉塊。
さっきまで、喧しく動いて喋っていた、母だったもの。
「……あ、……ああ……――」
すぐに救急車と警察が駆け付けてきたが、どう見ても手遅れだった。
二十キロある豪華なシャンデリアが真上から直撃したのだ。
母は即死だった。
現場検証の末に、事件性は一切なく、七五三家が責任を追及されることもなく、単なる不運な一事故と結論付けられた。
ここ七五三町では、役場や警察などにも七五三家の息がかかっており、何か起こったとしてもこの家に不利な扱いが為されることはない――ということをぼくが知ったのは、もう暫く後のことだった。
「ふ、ふふっ……報いだわ!
……忌まわしい魔女に天罰が下ったのよ!」
義母が長い数珠のようなペンダントを手にせせら笑う。実際に人が死んでいるというのに家の者は誰もそれを制止しない。むしろ、ぼくのほうを淡々と睨みつけている。異質なものでも眺めるような目で。
「お前のせいだよ。不幸を呼ぶ――悪魔の子め!」
ペンダントの先端についている奇妙な形の尖ったオブジェを、ぼくの喉元にまで突き付けてくる。義母が唾を飛ばしながら吐き散らす罵り文句は、あながち間違いじゃないのかもしれない。
ぼくは――自分の周囲で起きている異変を、もはや否定することが出来なかった。
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