第八話「とりたて」~事故物件の黒い絵~

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 腹ごしらえを済まさないと動けません、という万世(まよ)先生の主張により、三四(みよ)さんの用事を聞く前にぼくらは早めの朝食をとることになった。  ぼくらが食卓についている間もずっと、リビングのソファーから三四(みよ)さんが視線を向けてくる。出した紅茶とお茶菓子に殆ど手もつけず、じっとただこちら側を見つめてくるのだ。  なんとなく急かされているような感じがしてどうも落ち着かない。しかし気になって仕方がないのはぼくだけのようで先生は呑気(のんき)に、 「七五三(しめ)君。お味噌汁のお代わりをください」  とお椀を差し出してきた。味噌汁の味はお気に召したらしい。一晩しっかりと煮干しをつけこんで出汁をとった甲斐があった。具の油揚げと長ねぎをふうふうしながら、ゆっくりと朝食を楽しんでいる。髪の毛を逆立てたまま。  足下では探偵舎の一員であるベンガルネコの億良(おくら)が、お皿に入ったささみごはんを上品に()んでいる。猫特有の『ちょっと食べ』で、少し食べては日向ぼっこをし、また戻ってきて少し食べ……を繰り返している。  数多町(あまたちょう)迷宮通(めいきゅうどおり)の奥の奥。一番地にあるこの木造平屋で先生の助手として暮らし始めて、ようやくぼくにも心休まる日常が訪れるようになっていた。こんな何気ないひとときを大切にしたいな、とあらためてぼくは噛みしめーーている場合じゃなかった。  後ろから食卓を見つめてくる三四(みよ)さんがちょっと怖くなって、ぼくはついつい間を持たせるべく話しかける。 「あの、よければ三四(みよ)さんも……食べます?」 「七五三(しめ)さん。そんなに気になさらなくていいのよ。朝は済ませてきましたし、私、万世(まよ)さんを観察しているだけで時間が経つのを忘れますの」  くすくすと口元を押さえて微笑む。  ゆったりとした朝食が終わり、先生がようやく洗面所に立って身支度を開始し始めた。ぼくと三四(みよ)さんがその場に取り残される。 「……ところで先生のこと、万世(まよ)さんとお呼びなんですね。ずいぶんと親しげですね?」  ぼくが尋ねると、三四(みよ)さんは「ええ」と恥ずかしそうに頷いた。色白の頬をほんのりと染めながら、思わせぶりに瞬きをしている。女性というものはやっぱりよく分からない。  ぼくは心の中の『要注意人物リスト』に三四(みよ)さんの名を密かに足しておいた。ーーなお、今のところブラックリストの揺るがぬ筆頭は都九見(つぐみ)准教授だ。  間もなく、支度の済んだ先生が応接間に戻ってきた。いつも通りの安定の黒い装束と羽織姿。最近また伸び始めてきたくすんだ髪の毛。古びたカンカン帽で寝癖を無理矢理押さえこんでいる。 「四ツ谷(よつや)さん――用事とはでしょうか」 「えぇ、万世(まよ)さん。をお願いしたくて」  三四(みよ)さんがずずいと歩み寄る。 『いつものあれ』? クエスチョンマークを沢山浮かべるぼくをよそに、二人は何やら帳簿のようなものを広げて打ち合わせを始めた。 「さて。そろそろ行きましょうか」 「うふふ、今回も宜しくお願いしますわ」 「あの――! お二人は、一体どこで何をなさるんですか?」  気になって気になって仕様が無い。  黒革のブーツを履いてさっさと出発しようとする先生と、付き従う三四(みよ)さんの後ろ姿を慌てて追いかける。万世(まよ)先生は入口のところでくるりと振り返り、高くも低くも無い錆びた声音で、事も無げにこう答えた。 「――です」
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