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第五話「おひれはひれ」~SNSデマ拡散事件~
数多町七十刈探偵舎
第五話『おひれはひれ』
「はぁ。SNSって本当に疲れる」
ぽつりと大学帰りのぼくが漏らすと、万世先生が黒装束の膝元に億良を乗せたまま、すすすと傍らに寄ってきた。元気の無い助手のことを心配してくれているのだろう。一見無表情に見えても、先生は思いやりが深い優しい方なのだ。
「おかえりなさい。何かありましたか、七五三君」
「ただいま先生。あぁすみません。先生や億良の前で愚痴ってしまって。探偵舎の公式アカウントのことじゃないんです。むしろそっちは依頼や相談が増えて今のところ順調そのものです。問題なのは、大学のSNSでやっているぼく個人のアカウントのほうで……」
助手のぼくは、文明の利器に疎い万世先生の代わりにここ――『七十刈探偵舎』の広報係として各種ソーシャルネットサービス――SNSを管理している。ネットを通じて『なぞ』を抱えて困っている人たちにぼくたちの探偵舎のことを知ってもらうためだ。
宣伝効果は上々だ。
特に先日の『ツグミステリーナイト』で都九見准教授に紹介されてから、ようやく先生の得意分野である『呪詛』に関する相談のメールが増えてきた。
万世先生は事あるごとに、
「僕は『なぞ』を解くために生まれてきたのですよ」
と口にしている。先生にとって『なぞ』は『儺詛』――つまり複雑に入り組んだ呪詛をあるべき形に解き明かすことに他ならない。あの時は准教授の掌の上でまんまと踊らされたようでシャクだったけど、先生にぴったりの『なぞ』が集まってきてくれるなら有難い兆候には違いない。
そんな探偵舎の共同アカウントとは別に、ぼく――七五三 千は、所属している大学の校内SNS――通称『FIVES』で、知人どうしでやりとりする為の個人アカウントも動かしていた。うちはマンモス校なので利用人数も多く、外部のSNSと連携しての情報発信も出来るので結構賑わっている。
ぼく自身は探偵助手をやっていることを除けばごく一般的な大学生なので、街で見かけた変わったものや何気ない日常の写真を時々上げるだけなのだが、繋がっている親友――同級生の二月 五夢がいわゆる『インフルエンサー』と呼ばれるフォロワー一万人超えの有名銘柄なのだ。
彼はおしゃれ中性的男子『いつむ~みん★』としてファッション雑誌の読者モデル頁に載ったり、メイク動画を上げたり、ファンの女の子たちと交流したり、精力的に活動しているようだ。「数字がとれるから!」と言って何故か友人のぼくとの仲良しツーショットを投稿する事も多いので、タグを付けられるたびに何かと騒がしい彼の周辺に巻き込まれてしまっているのだ。
「この間の五ツ星祭で、ぼくと友人の五夢の撮った女装写真がバズって……ああすみません先生。『バズる』というのはSNSでものすごく拡散されて大勢の人の間で話題になるってことなんですけど」
「バズる。英語の『buzz』に接尾辞の『る』を付けてラ行五段の動詞化したというわけですね――ふむ、面白い」
革の手帳にメモしている。さすが先生、理解が早い。言語は生き物だとよく言うけれど、日々変化していく若者言葉にも柔軟に適応しようとしている。
「実は、それ以来変な噂が時々タイムラインに流れてくるようになったんです。どうしても目についてしまって」
「ほう。どんな噂ですか」
「これです」
FIVESのアカウントを起動させる。ぼくは本名で登録しているので、トップの自己紹介画面に『七五三千@6667913ZR』と表示されている。@以下の部分がランダムに割り振られたIDの数字なのだ。
スマートフォンを先生に差し出す。
『5月26日18:45 dona@6584211IL
いつむ~みん★とミルミル付き合ってるんだって』
『5月26日18:52 谷@5543262IL
マ? 前からあやしいと思ってたんだよねー』
『5月26日19:03 みなみ@6812238KL
二人腕組んでデートしてるとこ見かけたよ』
「……とまぁ、いつの間にかこんな根も葉も無い噂があちこち目につくところで乱れ飛んでまして。真実みたいに広がってしまっているんです。大学でも「本当に?」なんて聞かれてしまう始末で――SNSって何が嘘で何が本当かを自分で見極めるのがめちゃくちゃ大変なんですけど、こんなふうに嘘の情報を積極的に流す人たちもいるので、何なんだろうって」
ありもしない流言を追うのに疲れてしまったぼくは、画面を落としてスリープモードにした。
確かにぼくと五夢は二十センチの身長差も手伝って、一緒にいると結構な確率で男女のカップルに間違えられることがある。小柄で女顔の五夢は、似合うし可愛いからと言ってよくレディースに近いユニセックスなファッションを着こなしているし、髪の毛も肩の辺りまで伸ばしていて、化粧までしている。でもそれは他者から見た外見のバランスの話であって、ぼくと五夢はあくまで良い友達なのだ。交際相手じゃない。
「七五三君。気を確かに持つことです。真実ではないのでしょう」
先生が励ますように、座ったぼくの肩にそっと手を置く。億良も腿の横に気遣わしげにすり寄ってきてくれた。彼女はとても賢いからぼくたちの言葉が分かっているのだろう。
一体誰が、何の目的で。匿名の身勝手な悪意に呑み込まれてしまいそうだ。
「醜聞をわざと広めて相手を弱らせるのは、昔からよく使われる呪法です。疑心暗鬼に陥ってはいけませんよ。やり過ごしましょう。人の噂も七十五日と言いますから」
「それ。気になってたんですけどどうして七十五日なんですか?」
「諸説ありますが、昔は春夏秋冬に季節の変わり目も含めて、一年が五つの季節区分で構成されていると考えられていました。三百六十五日を五で割ると七十三日。要するに季節がひとつ変わる頃にはもう飽きて忘れられているということです。人間は新しい刺激に次々と飛び付く生き物ですから」
「うーん。でも噂が気になりすぎて季節ひとつ分も待っていられないです。ぼくも五夢も別に悪いことしたわけじゃないのに。噂の真偽を自分で見極めて判断できる人ばかりなら良かったんですけどね」
SNSはとても便利なものには違いない。ぼくだって日常的に情報収集したり発信したりするのに使っている。けれどそこに落ちている情報が必ずしも正しいとは限らないし、デマ情報を拡散させる人たちだって沢山いる。あることないこと言いふらす人たちのことは正直理解出来そうにないし、何の根拠もない噂を手放しで信じてしまう人の多さにも辟易していた。
「真偽など関係ないのですよ。ただ一時騒ぎたいだけでしょうから」
「直接顔が見えないからって、何でも言いたい放題なんてひどいと思うんですよ。だってネットの向こうには、ぼくみたいにその言葉を受け取る生身の人間がいるわけじゃないですか。なのに、どうして自分がされて嫌なことを平気で人に出来るんだろう」
「見えないからこそです。様子が見えなければ痛みも苦しみも伝わりづらいでしょう。拷問や処刑の時に顔を覆うように、そのほうが相手に残酷なことがしやすいのですよ。僕はその板の中の世界のことはまだまだ学習中の身ですが」
ぼくと先生が真っ暗な画面を見つめて黙りこくっていると。来客の訪れを知らせるように、探偵舎の玄関から雑なノックの音が鳴り響いた。
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