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第八話「とりたて」~事故物件の黒い絵~
数多町七十刈探偵舎
第八話『とりたて』
土曜の朝。
一足早く起きてきたぼくが、台所で浮き浮きと朝食に出す予定のお味噌汁の味見をしていたら、玄関からドンドンと誰かが戸を叩く音がした。相当レトロな木造平屋建である当七十刈探偵舎の入り口には、まだインターホンが付いていない。なので来客は思い思いに木製の引き戸をノックするしかない状況なのだ。
時刻は午前七時。ここの主の七十刈 万世先生はまだ寝床だ。うちの探偵舎には営業時間の概念は無かったはずだけど――まさかこんな早い時間に依頼人だろうか。
「はーい」
身だしなみを軽く整えて出てみると、大家さんの娘である四ツ谷 三四さんが立っていた。
清楚なカーディガンに白いレースのブラウス。フリルとリボンのあしらわれたロングスカート。薄ピンク色のルージュ。ふんわりカールした姫カットのボブヘアー。まだ朝も早いのにばっちりよそ行きのお嬢様スタイルだ。
「お邪魔しますわね。万世さんはいずこ?」
「万世先生ならまだ寝ていますよ。うちは家賃ちゃんと払ってると思うんですが……何か御用ですか?」
尋ねるも、三四さんは理由も告げずにとにかくうちの主ーー探偵の七十刈 万世先生に会わせてほしいと主張してきた。どういう訳かは知らないが、アポイントも無しに朝早くにやってきて先生の貴重な休息時間を侵害しようだなんて、随分勝手な人だとぼくは憤慨する。
とはいえ。
この建物を管理している大家の娘さんである以上無下にも出来ない。
「――あの。もう少し経ってから出直してもらえますか? 先生も暫くしたら起きてくると思いますので」
「いいえ。お気遣いなく。ここでのんびりと待たせて頂きますわ」
三四さんは、つかつか上がり込んだかと思うと、にこやかな表情で事務所のソファーに腰を落ち着けている。笑顔のはずなのに、何故かとんでもないプレッシャーを感じる。お気遣いなくとは言うものの、いつになるか分からない先生の起床をただお待ち頂くのも物凄く気が引ける。
とうとう根負けしてしまったぼくは、仕方無しに先生を起こしてくることにした。
「……失礼しまーす」
控えめにノックした後、そっと先生の寝室の扉を開く。
返事はないが、敷布団の上に一塊の丸まった毛布が鎮座しているのを見つける。万世先生の寝相はいつもこうだ。さなぎでも形成するかのように頭から手足までがすっぽりと毛布に包み込まれている。全く隙がない。お陰で中々寝顔をお目にかかれないのが残念でならない。
質量ある毛布の塊に手をかけると、じわりと温かい。掌でぬくもりと感触を確かめながらゆさゆさと揺さぶってみる。
「先生。先生。起きていただけませんか。来客ですよ」
「……しめくん。あさですか」
芋虫みたいにのろのろと毛布から這い出してくる。
起き抜けの先生はいつもに増してぼさぼさの髪の毛をしていて、あちこちが触覚みたいにはねている。焦点の定まらない翡翠色の目をこすりながら、ひどくぼーっとしている有り様だ。
こんな状態ではあるけれど背に腹はかえられない。
ひとまずひんやりした先生の手をひいて、三四さんの元へお連れすることにした。
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