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3
もぞりと、布団が動く気配がする。
僕の意識はふわりと覚醒に向かって、重いまぶたを開けると既に三城さんは起きていた。
「おはよう、ございます」
「おはよう」
ベッドからおりてカーテンを開けて、彼女は薄明かりを背に振り返った。
「散歩、しよう?」
僕が顔を洗ってトイレに行くあいだに、彼女は柔らかそうなシャツワンピースに着替えていた。白地に少し広めの感覚で、クレヨンの水色がストライプを描く。
どう? とすそをつまんで見せた彼女は楽しそうで、僕はただ、似合ってます、とひねりのない感想を伝えた。それ以外の言葉は見つからなかった。
僕はスウェットだけを履き替えて、二人で玄関を出る。
空が白み始めたころで、反対側はまだ夜の色を残している。こんなに早起きをするのはいつぶりだろうか。うっかり迎えてしまった朝ではない。きちんと寝て、きちんと用意された朝。
澄んだ空気がしんと鳴る。
ちょっと寒いね。戻りますか? 大丈夫。
ぽつぽつとキャッチボールをしながら、誰もいない道の半歩前を彼女が行く。アパートや民家が立ち並ぶ区画をぬけて神社をこえる。川沿いにたどり着いた時には、顔を出す朝日の予感に空と水面がゆらゆら色づいていた。
この川を渡った向こう側に僕のアパートがある。整備されていない河川敷には青々とした草が生えて、光と影の合間で湿原を作る。春は黄緑、夏は青、秋に茶色く染まって冬には霜が下りる。季節によって表情を変えるここを通って彼女のアパートへ向かうのが、僕はそれなりに好きだった。
どこまで行くのだろうか。
彼女はとつ、とつ、と歩を進めて、橋の真ん中で振り返った。
「私、就職決まったの」
彼女は綺麗に笑った。とても嬉しそうで満足気で、それなのに僕は、彼女が泣き出すのではないかと思った。風に揺れたら溶けてしまいそうな笑顔だった。
「――おめでとう、ございます」
僕はなんと言えばいいのか分からなくなって、また単純な言葉を口からこぼす。なぜか心臓が、胸をどんどんと叩いていく。
「初めは、近くで就職するつもりだったんだよね」
初めは。だった。
僕もそう聞いていた。彼女の地元は県内で、地元かこの近くか、そうでなくても県内で働きたい。よくそう言っていた。
「でも就活してたら、面白そうな仕事を見つけたの。だから頑張って内定もらった。けっこう、遠いとこ」
「そう、ですか」
「だから――」
彼女はそこで初めて言葉を止めて、視線をさ迷わせる。なんていうかね、と伏せたまぶたに前置きをにごした。
「――つき合わせてごめん。上総が優しいから甘えてた。気が楽で、楽しくて、落ち着けて。良くないって分かってたけどやめられなかった。……ごめんね」
彼女は小さく苦笑した。
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