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『ぎぇああああああああああああああああああ──』
いきなり頭上から、空気を切り裂くような咆哮にも近い叫び声が降ってきた。
「な、なに!?」
息を飲み、文恵は徹に縋り付いた。狂ったような絶叫は、女の金切り声にも男の怒号のようにも聞こえ、加奈子と拓馬に何かあったのではと震えが走った。助けに行かなくては ──。運転席の徹を見やると、同じ思いだったのか黙って頷き返してきた。文恵が助手席のドアノブに手を掛けると、
「わぁぁっ」
短い叫び声をあげた徹の視線の先に、文恵は見た。黒い影が、建物からゆっくりと落下してくるのを。
── ゴッッ
鈍い衝撃音が響いた。誰かが工場の上階から落ちた。いや、落とされたのか? 事故なのか、自殺なのか、とにかく誰かが落ちてきた。
ヘッドライトが照らす先の地面には、落下した身体らしきものは見えない。もっと建物の近くまで行かないと、判別できないのか。もし、横たわった身体が加奈子か拓馬のものだったらどうすればいいのか。いくつもの思考が脳内を巡り、文恵も徹も車内で身動きもできずに固まってしまっていた。すると、
「あーらら」
唐突に、誰も座っていないはずの後部座席から、ため息交じりの低い声が聞こえてきた。まるで目の前で誰かが落ちたのが、文恵と徹のせいでもあるかのように。
「いやあぁぁぁぁぁ」
「うわあぁぁぁぁぁ」
二人ほぼ同時に、ドアを開けて外に転がり出た。
「誰!? ねぇ! 今の声、誰っ!?」
「知らねぇよ! 何なんだよ、もう!」
パニックになりながらも、恐る恐る車外から後部座席を覗くが、そこはもぬけの殻だった。
「……誰もいないじゃん」
「じゃあさっき聞こえたのは、誰の声だったって言うんだよ」
「そんなの私にだって分かんないよ!」
言い合いをしている場合ではなかった。一刻でも早くここから立ち去りたい。それにはまず、加奈子と拓馬の無事を確かめなくては。
「ねぇ、それよりさっきの……」
「お、おう……」
すべてを言わなくとも、徹には伝わっているようだった。目の前を落ちていった人影のようなもの。その正体を確認するために、文恵と徹は腕を取り合ってにじり寄るようにして、ヘッドライトが照らすその先へと進んでいった。
「……なにも、なくない?」
「……おかしいな」
辺りを見回しても、ところどころにヒビの入ったアスファルトの地面が広がるだけだった。確かに、大きな音と共に、目の前に何かが叩きつけられるように落ちてきたはずなのに。
その瞬間、辺りが闇に包まれた。周囲を照らしていた唯一の光源だったヘッドライトが、いきなり消えたのだ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ」
「やだやだやだやだもうっ! なんなのっ!? なんでいきなり消えたのっ!?」
視界を暗闇に奪われ、触れ合うことでしか相手の居場所が確認できない状態となった文恵と徹は、互いに縋り付いて声を上げた。
泣いても叫んでも明かりは灯らない。手探りで動き出せば、これ以上に不可解な出来事が起こるかもしれない。為す術もなく、二人はへなへなと膝から崩れ落ち、その場にしゃがみこんだ。
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