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急に何の前触れもなく入籍したよ、と平然と報告してきたあのとき。一瞬言葉を失った俺に茜は確かにそう弁解した。
お互い恋愛感情もないし身体の関係もない。ただ、配偶者があればそれぞれ都合もいいし将来の相互扶助とかも考えて。そんなに感じも悪くない子だから、まあ試しにやってみるかって思ってさ。
そんな当時の台詞の内容も知らない星野はちょっと不服そうに訂正した。
「別に、契約結婚じゃないですよ。…ああ、『ないよ』。ただ、入籍する際にお互い条件を照らし合わせた契約書を作ったってだけで。そういえば、もうあれは無効になってるな、思えば。お互い外で何をしても自由とはやっぱり今は考えられないし。彼女に恋人ができたら責めはしないけど正直つらいと思う。それでいちいち別れたりはしないけど」
「そりゃ。…まあね」
俺は素っ気なく肩をすぼめた。遅れてやってきた二人の春、ってわけだね。ご馳走さまです。
「そういえばさ。あんたも結婚当初は多分、誰かいたんだろ。付き合ってる相手とか。その彼女とはどうなったの?…あいつからは何も聞いてないよ、俺は。ただ何となくそう推測したってだけだけど」
ふと思い出して訊いてみる。慌てて言い添えたのは、茜の口が軽いって思われるのは忍びないなって気がしたから。あいつは俺が星野の前でそれをほのめかすと烈火の如くいつも怒った。どうやら訳ありのデリケートな経緯がある相手なんだな、とむしろそれでわかったくらい。
星野は大通りまで一緒に行きますよ、と呟いてから俺の問いかけに首を振った。
「ずいぶん前に別れました。ああ、…えーと、彼女の妊娠がわかってすぐに。どのみち、いつかはお互い別れなきゃいけないとわかってた関係だったから…。もともと茜さんのことも紹介してあったし、今でも家族ぐるみの付き合いは続いてる。竜と鋼を連れて行くと喜んで迎えてくれて。子どものいない家なんで、賑やかで嬉しいって」
「ふぅん」
つまり、やっぱり既婚者と不倫してたってわけか。まあ、世間じゃよくある話だ。
「じゃあ、今では夫婦円満、二人お互いだけになったってわけだ。始めた時は見切り発車も同然だったのに。全て丸く収まってよかったな。…まあ、あんたたちが上手くいってる方が。リュウも鋼ちゃんもこのまま幸せで、言うことないのは事実だもんな」
わざとらしく伸びをして頭の後ろでそのまま腕を組み、もの寂しい東京の夜空でやけに綺麗に輝いてるまばらな一等星を見上げながら呟いた。すかさず星野からそつのないフォローが入る。
「川田くんの方こそ。いつも竜と鋼に分け隔てなく同じように接してくれてありがとう、ですよ。どうしても竜の方に目がいくのは普通だと思うし、仕方ないことだと思うけど…。そこはちゃんと二人とも、どっちがどうということもなく可愛がってくれて。今はまだ鋼もちっちゃくて何もわからないだろうけど、そのうち川田くんはどうして竜だけ可愛がるの?とか不審に感じる可能性もあるからね」
「まあ。…そこはあんたと同じで。二人を同じように見てるうちに、どっちがどうでもよくなってきたとこはある」
俺は認めた。
何といっても兄弟は実にそっくりだし。こっちは俺の子で向こうは星野の子で、とか区別して考えるより、二人とも茜の産んだ子だって実感の方が強くなってきた。何よりちっちゃな男の子二人が俺に懐いて、きょうはおれがかわだくんとあそぶの!とかやだぁこうとあそぶー、とかむきになって取り合ってるのを見ると。正直どっちもめちゃくちゃ可愛いとしか思えない。
「二人に区別をつけないようにって意図だろうけど、いつもリュウだけじゃなくて鋼ちゃんの誕生日や行事にもちゃんと俺を招んでくれるしさ。なんか、どっちも自分の身内みたいで普通に愛おしくなってきたよ。兄弟揃って半分俺の子みたいなもんだな、って勝手に思ったりして」
あんたたち夫婦に何かあったら俺が引き取ってちゃんと育てるから、とまで言いそうになってさすがに控えた。いくら何でも縁起でもなさ過ぎる。
星野は我が意を得た、とばかりににっこりと笑った。
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