最終章 立ち止まるな、歩き出せ

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俺はさすがにやや弱って横を向き、ぼそぼそと呟いた。 まさか避妊用のピルを何ヶ月も偽物とすり替え続けたとか。変態プレイをするあいつを隠し撮りして旦那にこっそり送りつけたなんて、やっぱり言えない。この子もそんなことする男と同じ部屋にいたいなんて思えないだろうな。正直本人である俺でさえ、あの頃は頭がどうかしてたんじゃないかとしか思えないし。 ちょっと迷ったけど、俺は思いきって少し本当のことを打ち明けることにした。 「そういうの、板谷さんみたいな子がどう捉えるかわからないけど。俺と彼女はずっと、何の約束もないしちゃんと付き合ってたわけでもなくて。ただ身体だけの関係だったんだ。好きだとか一度も言ったこともなくて」 「…うん」 どういう意味の『うん』なのかはわからない。板谷の真剣な顔つきはさっきと微塵も変わらない。 セフレなんて不潔、って拒絶されてる感じもなかったので俺はそのまま先を続ける。 「そんな中、あいつはたまたま気の合った男と身体の関係のない契約結婚をする羽目になって。俺との付き合いは夫公認でそのまま続いたんだけど、俺はやっぱり、…。あいつが他の男の妻になっちゃったってことをどっかもやもや引きずってて。俺の子を妊娠すれば、そいつと別れて俺のとこへ来てくれるんじゃないかなとか浅はかな気持ちで。…その時は多分、正気じゃなかったんだと思う」 板谷の真っ黒なつぶらな瞳がなんだかいつもより大きく、吸い込まれるように感じる。 「…つまり。雅文くんは彼女のことが、好きだった。ってこと、だよね」 「うん」 棚の上に置かれた額に視線を移した。ほんとは、この表にした写真の裏に。 こっそり撮った母子の写真がもう一枚隠されてる。俺の息子と、その子を産んでくれた母親。スマホを向けられてることに気づきもせずに竜の世話に心を奪われてるその横顔。俺の、大切な。たった一人の女性。 部屋に他人の目があるなしに関わらず、俺自身がその写真を常に目の前に置いておくのには耐えられなかった。失ったものの大きさをいつも見せつけられてるみたいで。だけど、プリントして引き伸ばさずにもいられない。それくらいよく撮れてた。俺の元恋人と、血を分けた子ども。 視界の中に置くのは辛いけど大切な写真ではあるから。竜と鋼の笑顔の後ろに今でもこっそりと忍ばせてある。 板谷は他人事のくせに、納得いかないとばかりに真剣な顔つきでさらに問い詰めてきた。 「なんでそう正直に言わなかったの?自分は本気だから、契約結婚なんかやめてこっちに来てください、って頼めばよかったんじゃないの?」 「まあ。…それを口にしたら多分、あいつは逃げ出しちゃうだろうな。と思ってたから」 俺は感情の底が抜けた声で淡々と答えた。 今冷静な状態で思い返してもそれはそうなっただろうな、って気がする。恋愛感情があるってことならこんな関係は続けられないよってあっさり切り捨てられた可能性が大だ。それは茜が非情だからっていうより、そもそも最初の俺のアプローチに問題があるとしか言いようがないけど。 そこでふと自嘲的な苦笑いが口の端に浮かぶ。いくらとっつきどころがなくて俺のことなんか絶対関心持ちそうもない女の子を何とかして落とそう、と目論んだからって。よりによって複数で乱交できる変態プレイのクラブがあるんだけど、君ならきっと向いてるよ。なんて口説き方あるか?ってんだ。それにかこつけてどさくさに紛れてあいつの処女を手に入れはしたけど。 ほんとに自分が欲しいものは何か、正直に表に出さず何食わぬ顔して保護者ぶって。あいつを思いのままに抱くことはできたけど、それじゃ心は手に入らない。 得たものとは引き換えに真剣な恋愛の相手として見てもらえるチャンスはほぼ永遠にゼロになった。当たって砕けるのが嫌で姑息な言い訳を持ち出して、遠回しなやり方をしたバチが当たったというか。変則すぎる搦手を使った結果の自業自得ってことか…。 俺は板谷の頭越しにそっと手を伸ばしてフレームを手に取り、はち切れそうな満面の笑顔の二人の男の子に見入りながら呟いた。 「結局何が正解だったのかはわからない。真っ向から堂々と、君に興味があるしどんな人か深く知りたい。だから、俺と付き合ってって言ったら多分その場であっさり断られて終わってただけだったと思うし。それよりは、十年もそばにいられて気心の知れた仲にはなれて。結果一緒にはなれなくても俺との間にできた子を生んで大切に育ててくれてる。そう考えたら、必ずしも俺のあいつとの関わり方が全部初めから間違ってた。って簡単には断言できないし…」 「…うん」 板谷は普段の元気な騒がしさとは程遠い大人の声で静かに相槌を打った。何が『うん』なのかはわからない。同意というよりただ、ちゃんと聞いてるよ、ってくらいの意味合いかも。
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