最終章 立ち止まるな、歩き出せ

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あれ以来、もう誰とも付き合いたいとも恋人欲しいとも思ったこともなかった。正直もう懲り懲りだし、ひとを好きになった時の自分自身にもつくづく嫌気がさしてる。 それは今でも変わらないし今後も誰かと深く関わるのはあまり気乗りがしない。だけど、こういう表面的な付き合いでいいんなら。こうやって誰かが時々顔出したり声かけてくるのは意外と悪くないかも。 仕事絡み以外の知り合いも歳と共にだんだん減ってくし。利害関係のないただの友達なんて、考えてみれば学生時代以来ほとんど増えてない。茜が掛け値なしの友達だったかどうかはともかく、一緒にいて疲れない気の置けない仲の相手ってもうあれ以来ずっといなかった。 もしこの子に彼氏がいるならあんまり積極的に来いっていうのもなんだけど。時間のあるときはこれまで通り気軽に訪ねてきても平気だよ、ってこっちからも改めてお墨付き出すくらいは。別に構わないかな…。 「だけど、結局途中でつい話しかけたりとかして集中させてあげられなかったでしょ。もしかして全然進まなかったんじゃない、仕事。土曜までにはちゃんと片付くかな。予定空きそう?」 「締め切りはどうせ明日だから。それは徹夜でも何でもすれば何とでもなるし、土曜はあんま最初から関係ないよ。…あ。でも」 週末空けろ、なんてこの子に言われるの初めてだけど。一体どういう用事なんだと訊くより先にふと頭に浮かんできたのをついそのまま口にする。 「そうか、今週の話だよな。…悪い、どっちみち。今度の土曜は俺、もともと予定あるわ。一瞬忘れてた。…それって、他の日じゃ無理?日曜とか来週とか」 「…わぁ、かわだくん!」 インターフォンがぶち、と切れて一瞬のちに、内側へがちゃとドアが開かれた。 ドアノブを握った星野の足許からするりと小さな身体が飛び出してきて、俺に容赦なく全力の体当たり。まだ三歳とはいえ思わずよろけるほどの威力だ。力の加減を知らない、ってのはこういうことか。と肌感覚で叩き込む説得力がある。 勢い余って倒れ込まないように、反射的に俺と星野の手が同時に伸びてその子を支えた。 「竜之輔。…久しぶりだな。すごいな、ちょっと見ない間に。こんなに大っきくなって」 玄関先でそのまま膝を曲げてしゃがみ込み、その顔を間近で覗き込んで話しかけると奴は混じり気なしの満面の笑みを顔いっぱいにたたえて胸を張った。 「うん。…あのね、さんさいになったよ。きょうで」 「知ってる。だから、お祝いに来たんだよ。誕生日おめでとう、リュウ」 手を広げて小さな頭を包み、ぐりぐりと撫でてやるその感触。図らずもじん、と胸の中が熱くなった。…俺の血を分けた、たった一人の子ども。 星野が目を細めてその頭を見下ろし、柔らかな声で注意する。 「竜、ほら。そこに立ってると川田くん中に入れないよ。お外寒いから。早くお家の中に入れてあげないと」 「平気だよ、リュウはちっちゃいから。こうやって抱っこしちゃえば」 両腕でひょい、と抱え上げた。そのまま上がり込む俺に、ふわふわの頬っぺたを膨らませた竜之輔が憤然と抗議する。 「えー、おおきくなったっていったのに。かわだくん、ちっちゃいっていった。ほんと、どっち?」 さっきは大きくなったなぁって言っといて真逆じゃん。てことか。若干舌足らずとはいえ、三歳児ともなると実によく喋る。俺は苦笑して奴を抱き寄せ、軽く頬を押しつけた。 「すごく大きくなったのは本当だよ。生まれたときはこぉんな、ちっちゃかったんだから…。でもまだまだ大きくなるからさ、これから。パパより大きくなるんだろ?」 「うん。パパより、かわだくんよりもっとでかくなるよ!」 「はは。じゃあいっぱい食べなきゃ、今よりもっと」 星野は俺の背後でドアをかっちり閉めて、奥へと促しながらこだわりなく笑った。相変わらず何というか、ゆったりした気のいい男だ。
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