最終章 立ち止まるな、歩き出せ

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「今日は竜の好きなものばっかりだから。いつもよりお腹いっぱい食べられそうだね。ケーキもあるし」 「うん。あのね、きょうママがつくったんだよ、パーティーのごはん!」 誇らしげなきらきらと輝く目を俺に向ける竜之輔。そうか、あいつが作ったメニューか。 「それは珍しいな。茜が頑張ったとは。じゃあいつもの、パパの料理より」 上手じゃなくても我慢しないとな。と言いかけたところで星野に肘を突かれる。そうか、余計なことだった。 竜之輔は俺の軽口なんか耳にも入らなかった様子で浮き浮きと続ける。 「ままのからあげ、いちばんおいしいんだよ。ケーキも買ったのよりすき」 「そうか、それはよかった。…おお、すごいな。確かにこれは」 リビングに足を踏み入れて、テーブルいっぱいに並べられた色とりどりの料理に思わず素直に感嘆する。髪をまとめて上げた茜が俺の声に振り向き、誇らしげに胸を張る。全く、この母子。まじでそっくりだ、表情も仕草も。 「すごいでしょ?頑張ってみたんだ、今回は。いつも洋記くんに任せてばっかだから。竜からのリクエスト、全部叶えちゃったよ」 「ようやく鋼仁朗も二歳になるからね。去年はママ、まだ育児であんまり余裕なかったからな」 星野がおっとりと傍らから口を添える。そうか、年子で生まれた弟は去年のリュウの誕生日にはまだ一歳にもならなかったんだ。俺は誰にともなく尋ねた。 「鋼ちゃんは、今日は?」 茜がしっ、と微かな音を立てて小さな唇に細い指を当てた。その様子を見てるとほんとに昔と見た目は全然変わらないな、と感じる。既に二人の子の母親とは思えない。 「今寝てる。…お昼寝の時間なの。この隙になるべくいろいろ済ませちゃおうと思って。そこで座ってて、川田は。竜、あんまり大きな声出しちゃ駄目だよ」 「リュウはお昼寝しなくていいのか?」 床に下ろした途端にかわだくん、こっちきてと言って俺の袖を引っ張る竜之輔。ほんとに容赦なくぐいぐい引くので、下手に抵抗したら足許が危ない。俺は大人しく従いつつ奴に尋ねた。リュウはどこか得意げに俺に向かって言い張る。 「おひるねなんて。おれもうあかちゃんじゃないんだよ?さんさいになったらひるまねなくてもおかしくないって。…ほいくえんでもねむくないときある。大人はおひるねしないじゃん?」 「…眠くなったらこてんと寝るから。川田は気にしないで大丈夫だよ」 茜が抑えた声でこそっと俺に囁いた。そうか、保育園じゃまだ昼寝の時間あるもんな。 でも、来年から幼稚園の三年保育と思えばそっちは昼寝ないだろうし。ちょうど今くらいが過渡期なのかもしれないな。何かあったら声かけてください、と星野が俺に頼んでからキッチンに向かった。茜一人じゃやっぱり大変だから、手伝うつもりなんだろう。 俺はどっかりと遠慮なくリビングに座り込み、満面の笑みでいそいそと俺に見てほしいものを両腕いっぱい抱えて近づいてくる我が子に微笑んで目を向けた。 星野は約束通り律儀に、赤ん坊が無事生まれて即座に俺に連絡をくれた。 『さっき生まれました。元気で丈夫な男の子です。病院に会いに行くなら連絡ください。案内しますから』 連絡せずに勝手に行こうも何も、どこの病院で産むのかも全然知らされてないし。と内心で毒づきながらも実際は不安だった。 ほんとに俺なんかが自分の子に会いに行っていいのかな。茜とは掛け値なしにあれ以来だけど。 以前とはうって変わった赤の他人に向けるような、汚いものでも見るような目を向けられたりしたら。…どうしよう。 恐るおそる星野に返信をして結果翌日に予定を合わせ、二人連れ立って茜と子どもに会いに行くことに。 「あ。…川田。久しぶり、元気そうじゃん」 身構えて病室に入ったところ、あっけらかんとした表情と声のすっぴんの奴に出迎えられて拍子抜けした。 よかった、怒ってないのか。どっと安堵の波が押し寄せた途端不覚にも俺は涙ぐんでしまった。奴のほっそりした手を取って握りしめたいのをぐっと堪えて、震える声で話しかけた。 「茜。…よく頑張ったな。ありがとう、その。…大変な思いして」 俺の子を産んでくれて。と口にするのは思いとどまった。あんたの子だから産んだわけじゃない、ってあっさり片付けられるのはわかりきってるし。 それでもやっぱり、心の底からありがたいと思った。意に反して孕んだ、好きでもない男の子どもだし。今回は無理、って割り切られて堕されても仕方ない事情だったんだから。 茜はちょっと優しい光を目にたたえて俺を見やった。素顔になると目許に微かにそばかすがあるのがわかる。これはこれでなんだかあどけなくて可愛い、ってずっと心の中で思ってたっけ。 「大丈夫だよ。どんな経緯でやってきたって生命は生命だもん。頑張って産んで、ちゃんと大切に育てるって言ったでしょ。…ねえ、もちろん見るでしょ、赤ちゃん。今もしかして寝てるかもだけど。ちょっと、様子見に行こうよ」 「この病院では両親以外は赤ちゃんに触れないんです。感染症とかに気を遣ってるので」 星野が横から口添えした。そうか、今はそういうとこ増えてるのかな。 新生児室はガラス張りで外から覗くことができる。子どもの両親以外の面会者はそこから触れずに眺める、って方式だった。俺と星野が外から見てる中、茜はずかずかと新生児たちのずらっと並ぶ中に入っていって得意げにそのうちの一人を取り上げてみせた。…おお。 この子か。 「…ちっちゃいもんだなぁ。こんな、…頼りない感じの…」 乱暴に触れると壊れちゃいそうだ。頭がこんなに小さくて、手にはきちんと五本の指が揃ってるのが信じられないくらい。…わぁ、ちゃんと小さな爪まである。こんなんで本当に一人前の人間のサイズになるのか? 「まるでお人形だな。…あ、気をつけてそうっと置けよ。目を覚ますと泣いちゃうんじゃないか?」 あたふたする俺。茜は昨日産んだばかり、とは思えないほど落ち着き払って悠然と自分の赤ん坊を元いた場所に戻し、タオルをそっとお腹にかけて廊下へと出てきた。 センチメンタルに目を潤ませてる俺の纏う空気に憚ることもなく、俺たちと一緒に並んで自分の子を見やりずけずけと口にした。
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