最終章 立ち止まるな、歩き出せ

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「お人形にしちゃ、まだぶっちゃいくだよね。顔真っ赤でしわしわだしさ」 「何言ってんだ。めっちゃ可愛いぞ、この子。顔立ち断然整ってるじゃん。周りと見較べてみろよ」 頭に血が上ってつい剣呑なことを口にする俺。あとで考えたらこの時周囲に他の子の身内がたまたまいなくてよかった。自分の子どもが可愛いと主張するあまり、無意識によそんちの子を下げる発言を…。まあ、本気でそのときそう感じたのは確かだけど。 星野が温厚な表情でまあまあ、と俺と茜の間に割って入って宥める。 「しわくちゃでも顔赤くても可愛いのは確かなんだから、茜さん。それに、看護師さんが生まれてすぐのこの子を見て言ってたんです。目がぱっちりで整った美形のお子さんですねぇって。どこがだ、とその時は正直、…いえいえ」 ごほん、とわざとらしく咳き込んでごまかした。お前今、うっかり本音だだ漏れしたな。 「だけど、退院する頃にはだいぶ顔立ちもはっきりしてくるみたいだから。沢山の赤ちゃんを見てる看護師さんからすると、生まれたてでも個性がわかるのかもだよね。でもまあ、目鼻立ちなんかどうでも。うちの子が一番可愛いって普通じゃないですか。それで充分だよね」 目尻を下げてガラス越しに『我が子』に見入る星野を見て、こいつとその子に血の繋がりがないなんて誰が想像できるだろう。 退院してしばらくは夜も昼もない毎日が続いたみたいで、俺が会いに行くような余裕はとてもじゃないけどなさそうだった。だけどちゃんと折々に星野から子どもの写真が送られてきたので、その看護師さんの何気ない言葉が口から出まかせの嘘じゃなかったことは理解できた。 男の子は女親に似るって言うけど。紛う方ない母親似なのは見る見るうちに顔立ちがしっかりしてくるに従って自明のこととなった。 もともと茜はくっきりした目鼻立ちの整った美形で、一方で俺や星野は何というか、いかにも日本男子によくあるタイプの茫漠とした個性の薄い顔立ちだ。奴の方がやや小柄で線が細く、それよりは俺の方が背が高くガタイがいい、って違いはあるし。俺と奴が似てる、とはとても言えないのは事実だが。 だけど容貌としては、茜の血を色濃く引いてる分、俺の面影はそれほど竜之輔の顔に明らかってわけでもなかった。そのあと年子で生まれた弟の鋼仁朗と見較べても父親が違うなんて気がつく奴はそうそういないと思う。つまりはそれほど兄弟揃ってばっちり母親似、ってわけだ。 一年数か月あとにまさかの二人目が生まれた、と知った時はさすがに物寂しいなんとも言えない気持ちになったが。そうか、そうだよな、としみじみと厳しい現実を噛みしめた。 やっぱりあの二人、名実共に本物の夫婦になったんだよな。俺はもちろん、今の茜の様子からしてまた別の相手をわざわざ見つけたとは思えない。つまり鋼仁朗は、正真正銘夫の星野の血を引いた子だってことになる。 まあ、今さら。二人目が生まれてしばらくして落ち着いてから、律儀に俺を招いてお披露目をしてくれた夫婦と自分が兄になったことをわかってるのかいないのか、マイペースに部屋中とことこ走り回る我が子と一緒に再びの小さな赤ん坊を覗き込みながら感慨深く思う。 俺の血を引いてはいるけど、この子はこの家族の一員なんだ。ここから俺の子だけ無理やり引き離すってのは、もうできないんだよなぁ…。 「今日はありがとうございます。竜之輔の誕生日ってことで、わざわざ時間割いて頂いて」 「いや、こっちこそ」 星野が俺をいちいちエレベーターまで見送ってくれる。玄関先で鋼仁朗を抱っこした茜に笑顔で見送られ、俺は星野家をあとにした。 星野は呼出ボタンを押してからこだわりのない笑顔で俺の方を振り向く。その表情には妻の元彼で長男の実の父親に対しての屈託など微塵も見られない。今さらだけど、実に人間のできた男だと思う。 「竜之輔が眠っちゃって、ちゃんとお別れ言えなくてすみませんでした。あともう少し、保ちこたえるかなと思ったんですけど。…ああなっちゃうともう、朝まで爆睡なんで。結局お風呂にも入れられなかったな」 俺は微笑んで首を振った。
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