わたしの自叙伝

4/9
前へ
/9ページ
次へ
新しいアルバイト先のお店は割烹居酒屋を経営していていた。 ホールスタッフは割烹ということもあり、女性は二部式着物と呼ばれる簡単に一人でも着用できる着物を着て接客をしていた。昼営業ではランチを提供して、夜は宴会のお客様で予約が入り、はじめの頃は常連客や新規のお客で繁盛していた。 田中はこのお店の料理長としてお店を仕切っていて、お店の中では二人の仲がバレないように料理長と呼べと言われ「田中さん」と呼ぶのは禁止されていた。 私は前から働いているお姉さん達から接客の仕方をイチから教わり社会人のマナーを身につけていった。 私が入社する前からお姉さん方にはうちの本部から凄い仕事のできるプロフェッショナルが来るから、そいつに仕切らせろと指示を受けていたみたいだ。 私は入社するなりアルバイトリーダーとしての教育を受けさせられ、シフト管理や在庫管理、事務作業などホールスタッフとは違う別の業務も年配のお姉さんに厳しく叩き込まれた。 話が違うではないか。 私たちはまんまと騙されたのだ。姉さん達と互いの事情を話し合ったが、田中の思う壺で事はうまいこと進み、在職している姉さん達は田中と反りが合わず次々に辞めてしまった。辞めさせてお店を自分の思うように乗っ取る計画をしていたのだ。それを機にアルバイトスタッフを一斉に入れ替え在職する子とは別に新しく求人を出して新しいスタッフを雇ったのだった。 私はその後、短期のバイトではなく本格的に働くことになり、アルバイトリーダーとしてそのまま継続して面接から新人教育まで一貫して職務をこなした。 春ももうすぐとなり1月に私は20歳を迎えた。 田中と一緒に生活をして約一ヶ月が経ち、同じ職場で働き朝晩常に一緒過ごす日々を送っていた。 田中はマンションの一室ともう一室、1Fフロアには道沿いに並んで店舗が入っていて花屋や雑貨屋などの並びに「ひまわり」という喫茶店を開いて両方ともの家賃を払っていた。 そんなある日の休日、朝二人でゆったりと寛いでいると、女性の声と共にチャイムの音が鳴り私が出ようとすると出なくていいからと戻され、そのまま応答に応じないでいると今度は激しく扉を叩いてきた。「中に居るのはわかっています、開けないと怒鳴りますよ」と室内にも響き渡るような大声で叫ばれた。それでも黙っていて応答に応じないでいると静かになった。 すると、また足音がして耳をすませているとガサガサと音が聞こえた。しばらくすると静かになり、ドアスコープを覗き外に誰もいないことを確認して扉をそっと開けてふと玄関扉を見ると「通告しましたが反応なし、給料が払う気がないと判断しましたので営業停止の旨ご連絡致します」と手書きで書いた張り紙が貼ってあった。すぐさま状況を察し田中にどういうことなのか詰め寄った。現在、店長を雇いカフェの経営に手を出したものの経営がうまくいかず両方ともの家賃も滞納していて来月も払えるかどうかわからない。さらに店長や従業員の給料もまともに払えない状況とのこと。他にも探ると色んなものに追われているようだが、その時は深く掘り下げないことにした。 「もう、オレと一緒に居ない方がいいよ」この間まではこのまま一緒に生活をしていこうと言っていたくせに!と腸が煮え繰り返りそうになった。「なんでそんなこと言うの!」と反射的に言い返した。「お金は持ってないんですか?無いならないで何処か金融機関で借りるしかないですよ、これからどうしますか?」と投げかけると、しばらく彼は黙り込んだ。 不安しかない。 人生いつ何時何が起こるかわからない。この人とこれから一緒に居てもお先真っ暗なだけ。大人になった今は冷静に判断がつくが、当時の自分はこの人が唯一の頼れる人で好きだしこのまま彼と離れたくない。 別れたくない 私は依存するタイプの人間だったのだろう。 黙り込んで口を閉ざしていた田中は腹をくくったのか、私の反応を見てこいつを利用するなら今がチャンスかもしれないと突然口を開いた。 「実は俺、金融機関にもお金借りれないようになっていて、もうヤクザのところにお金を借りに頭下げるしかないんよ」と笑いながら話し、「ヤクザにお金借りると利息が凄くて大変なんだよ。もう頼れるところがなくて…それで…玲奈ごめん!!貯金いくらある?もうじきこの家を出ようと思っているから、その前に滞納している家賃だけでも払っておきたいんだ。悪いんだけど、お金を貸してくれないか?」とお金をせびってきたのだった。 いままでカラオケやコンビニで買い物すると、私には一切お金を使わせずに全て田中が払っていた。うまいこと借りをつけられていたのだ。 これまでお金を出してきて貰ったし、今は家に住ませてもらってる。 このままこの人の側を離れたくない、私一人になるのは嫌だ、この人のことが好きだからこの人の為ならと…覚悟を決めた。 「必ず…いままで働いて稼いできたお金なので、必ず返してください!!」と念を押して何度も伝え、近くのATMに向かう身支度をした。喫茶ひまわりの前を通らないと、ATMに行けない。「カフェの子に会ってもし話掛けられても、田中はいない」と伝えてほしいと言われた。私はワザとらしく大きめのサングラスを掛けて外に出た。案の定様子を窺われていたのか、店長が外に出てきて話掛けられた。「あなた誰?205号室から出てきたでしょ?」と詰め寄ってきたので田中に教えられた通りに「身内で本人がいない時に掃除を頼まれているんです。田中は今は居ません」と告げた。なんとかやり過ごしその場を後にした。急いで近くのATMへ向かい「30万円」を口座から下ろした。 その束を側にあった持ち帰り封筒に入れその場を離れた。 喫茶店の前をバレないようにゆっくりと早足で通過して逃げるように部屋に駆け込んだ。 田中のところに行き現金を差し出した。 ---これが田中に渡した最初のお金だ。ーーー それをいつものセカンドバックに入れて私にありがとうとハグをしてきた。 (家賃として本当に使ったのか未だにわからないが、渡してしまったことは事実だ) ーーーそして数日後の平成18年2月7日 はじめて借金を背負ったーーー その日、田中は私の機嫌をよくさせる為か色んな場所にドライブに連れ出した。私はドライブが好きなので車窓から見える景色を楽しんだり、オーディオから流れる曲を口ずさみながらドライブを楽しんだ。 散々連れ回して外も暗くなってきた頃、急に話があると言い出し車を歩行者道路側に寄せてハザードランプをつけて停車させて車内で話をすることになった。 「実は先日喫茶ひまわりを引き払うことに決めたんだ。経営不振だしこのまま続けても負債ばかり大きく膨らむばかりだしね。マンションの管理人にも話をしようと思っている。これからお金が必要でまずは従業員への給料を払いたくって生活もかかってるだろうから早く渡してあげたいんだ。まぁ、その…お金が必要なんだよ」 また、お金の話か…と嫌になり聞かないように耳を逸らしていたが、お願い聞いてよ~とふざけてワザとらしく可愛げに声色を変えて話しかけてきたので仕方がなく相手の方に目を向けた。 「本当に悪いんだけど、消費者金融でお金を借りて欲しい!」 と悪びれもせず頼んできた。 「今回だけだからこれから一緒に返して行けば大丈夫だから」 と話に乗せられ、今は倒産した武◯士の無人契約機に連れて行かされた。 昔、母親から私の田舎にもプレハブで作られた四角い消費者金融の建物があり、そこでは絶対将来お金を借りたりはしちゃダメだよ!と小さい頃から言われていたのを思い出した。気持ちが揺さぶられるけど、契約書にサインをして借り入れをしてしまった。 借入額は「50万円」 当時の借り入れ利率は高くて「 27.375% 」遅延損害金の利率は「29.200%」だった。 借りた事が悲しくて酷く落ち込んだ。 だが、まだ悲劇はそれで留まらず味を占めたのか、その二日後の2月9日はア◯◯ルで「20万円」の借入、2月18日はア◯ムで「10万円」、翌月を跨ぎ3月9日に、ほの◯◯レ◯クで「10万円」と借金は膨らんでいった。20歳になりわずか2ヶ月程で借金を背負い、『90万円』の負債を抱えた。どの金利も高く29.200%と毎月の元金だけの支払いで精一杯だった。 利息は毎日溜まっていき、借金も次第に借入額よりも上回り支払いに追われる日々が始まった。 武◯士の希望返済額は毎月大体「21000円」ア◯◯ルは最初は高くて段々払い続けていくと毎月の返済額が減っていくようで最初は毎月「9000円」程の支払いだった。ア◯ムは毎月「3000円」と固定でほの◯◯レ◯クは「6000円」程度だった。 毎月の総返済額は約『4万円』程。 普通に生活費もかかってくるのに、毎月支払うのには痛い金額だった。 金融機関でお金を借りると必ず勤務先が偽ってないか確かめるため、本人が在職しているか電話が入る。凄く嫌だった。借りるたびに私宛に電話が入り他の従業員が電話口に出る度に冷や冷やした。会社名は伏せた状態で連絡してくれるのだか、怪しまれるよなといつも心配していた。 アルバイトと家を往復して過ごすのが慣れてきたある日、田中が大阪市大正区の泉尾という場所にいい物件を見つけたから、そこに引っ越そうと話を切り出してきた。この家ではもう暮らせないし出ようと、ここ最近私が出入りしていることが薄々マンションの管理人にも勘づかれていた。ある日玄関ドアに付いているポストを開けると管理事務所からの封筒が入っていた。 中を確認すると… 〈変更届のお願い〉 1.店舗103号室「ひまわり」の従業員である方はすでに辞められていると思います。新たな店長様の届けをお願いします。 2.205号室の今の現状を知りたいので別紙同封してある入居者名簿に記載して下さい と書かれていた。 最近、電気料金やガスなど滞納していたのか、家に返っても電気やガスが点かないときもあった。まあしょうがない。出ないといけないんだなと察した。 ーーーーそしてまたしても、お金の話だーーーー 私ももう感覚がおかしくなっていて、生きるためならしょうがないと諦めて「今度は何?」と話を聞くことにした。勤務先のいつもお世話になっている税理士からオレが連帯保証人となって間に入るからお金を借りて欲しい。理由はなんとでもなる引越しの資金として使いたいと言いなさいと言われて後日借入の手続きをした。 H18年4月13日、田中正人立会いのもと契約を交わし「50万円」のお金を借入した。ただし、知り合いということもあり、借入の金利は「年利1%」としてくれた。毎月の返済額が「2万円」増えて、借金の総額が『140万円』毎月の返済額「6万円」となった。 さらに、それだけで留まらずまだ引越しの資金が足りないからといい、友人や知り合いにお金を借りなさいと言ってきたのだ。 友人や知り合いに多額のお金を借りるわけにはいかず、親にウソをつき「今まで友人の家で生活をしていたんだけど、アルバイト先での寮を借りる事になり引越し資金と入居するのに頭金としていくらか払わないといけなくて申し訳ないのだけど、絶対返すから25万円ほど貸して欲しい」と泣く泣く頭を下げ親にお金を借りたのだった。 私の口座には後日「25万円」の振り込みが入っていた。 もう、その時はそうせざる得なかった。もうこんな自分が嫌だった。 親の借金も含めて借金額が『165万円』となり私の貯金も底をつき、引越しをした時には全財産は財布をいくらひっくり返しても「180円」しか持ってなかった。どう生活をすればいいんだか。 色々と向こうの家の手続きがあるからと、自分の荷物と私だけが先に引越しをした。 ーーーーその頃には初夏の暑い日差しが部屋に差し込む6月中旬に入っていたーーーー 食べるものもなく買い物にも行けず、キッチンの道具はまだ揃っていなくて何も作れない。仕方なくストックしていたインスタントラーメンの袋を開け、空腹のあまり袋の中で麺を割りそのまま口に含んでバリバリを音を立て咀嚼してしまった。 今でもあの日は忘れられない。 生まれて初めてインスタントラーメンを茹でずに、そのまま食べたあの日の光景は今でも私の記憶に残っている。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加