プロローグ

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プロローグ

  「じゃあ、またな」 「おう、また明日」  まだ太陽がさんさんと輝く校門で、帰宅部の俺は、部活へ向かう友人に手を振って、自転車置き場に向かって歩き出した。  視界の端に映る「青いもの」から、なるべく意識を逸らしながら、ため息を吐く。  非日常、っていうのは、案外身近に転がっているもんだな。  ふと周りを見渡せばぽろりと落ちてる。後はそれに気付くか気付かないかの差があるだけなのだ。  できれば、俺は気付かないでいたかった。  七月の暑い気温の中、制服の半袖でぐい、と額の汗をぬぐうと、「青いもの」は視界からいなくなっていて、少しほっとした。  単刀直入に言おう。  俺は、幽霊が見える。  いや、きちんと幽霊ってわかったわけではない。なんとなく、他の人には見えないらしい彼らにつける名前が、俺の貧相なボキャブラリーの中では「幽霊」という単語が一番しっくりきたというだけだ。  幽霊の存在に気付いたのは、何も小さい頃からではないし、生まれつき霊感が強かったわけでも、家が神社だとか寺だとか、心霊と深く関わる家系だったわけでもない。  この高校に入学して二カ月程が経過した六月に、突然学校の人口密度が濃くなった気がした。  前日までには見かけなかったその人達だけ、青フィルムを通した視界のような色をしていて、何より透けており、影がなかった。初めて見た時は友達に確認してみたが、とても変な顔をされ、自分にしか見えていないということがわかった。  でも何をしているのかって言うと、俺が普段学校でしていることとなんら変わりがない。物に触れるし、声も出せるのだが、死んでいるからといって、悪さをするでも、呪いをかけるでもなく。  ただ、スクールライフをエンジョイしているだけのようだった。  そして、消えてしまうこともある。以前、身体からしゅわしゅわと泡が浮いている子は、だんだんと色がなくなっていって、最後にはどこにもいなくなってしまった。いわゆる「成仏」というやつなのだろうか。  不思議なことに校内でしか幽霊を見たことがなく、しかもうちの学校の制服を着た生徒だけなのである。何人かの友達に言ってはみたが、到底信じてもらえるはずもなく、俺は極力彼らと関わらないように心掛けていた。その努力の結果、今まで一度も幽霊と接触したことはない。  何にしろ校門をくぐって一歩外に出てしまえば、なんら変哲もない日常がいつも俺を待ち受けているのだ。  校内にある駐輪場の中で自分の自転車を見つけて、ポケットから鍵をまさぐっていたら、唐突に両肩に鈍い衝撃が襲いかかった。 「よぉ、後輩」  耳元で囁かれたセリフは、まったく聞いたことのない声だった。  え、誰? 誰? 先輩?  いや帰宅部の俺に知り合いの先輩なんていない。  何の前触れもなく親しげに肩を組んできた男の人は、しーっと自分の唇に人差し指を当てた。 「独り言うるさい奴って思われるぞ」 「……………」  話しかけてきておいて黙れと命令してきたその人は、ようやく俺の肩から離れて、向き合った。  その先輩の第一印象は「でかい」だった。百八十はゆうに超えてそうな長身、なのに細い。それと赤目、色素が薄いのだろうか。黒髪は天然パーマのせいでところどころぴんぴんと跳ねている。制服を着ているから、恐らくここの生徒なのだろう。  俺がまじまじと反抗的に見上げていると、その人はかったるそうな笑顔で言った。 「とりあえず、人目のつかない所に行こうか」  ………とても怪しい誘いに、俺は大人しくついていった。    着いた場所は校舎の一階の男子トイレ。放課後のここはあまり人には使われない。本当に人はいなかった。 「オレ、実は天使なんだよ」  話を切り出した目の前の先輩らしき人物に、俺は相当不審な顔をしたのだろう、ほっぺたをぎゅいと引っ張られた。痛い。 「天使のわりには、わっかも翼もないじゃないですか」  どうやら先輩らしいので一応敬語をつかって、よく分からない冗談にのってみる。 「ばかやろー、あんなもんあっても邪魔にしかなんねーだろ。しまってんだよ」  俺の頬をつねる手を離すと、腰を少し曲げて目を合わせてきた。 「お前さ、幽霊見えるんだろ?」 「え」 「たまにいるんだよなー。幽霊いる所に長居して見えるようになっちゃうやつ。まあホントにたまにだけど」  その「幽霊」というのは、俺の思ってる幽霊と同じものを指しているのだろうか。 「わかるだろ、なんか青っぽいやつ、ほら見えるべ」  そう言って指差したのは、男子便所で用を足している影のない男子生徒。場所が場所だからしょうがないが、もう少し違うことをしている奴を示してほしかった。 「なんで知ってるんだ」  少し身構えると、その天使とやらは、今度はデコピンを食らわしてきた。  なんなんだこいつ! 「お前昼間、明らかに漏れそうって顔してトイレ入ったクセに、何もしないで出て行って下の階のトイレに入っただろ。なんでだ?」  なんでって……。だって、幽霊が全部のトイレを使ってたから、使えなかったんだ。 「そうだ、普通は見えないから何の躊躇いもなく使える。つまり、傍から見たらガラガラ空きのトイレに入って何もせずに出て行った不審な行為ってこった」  変なとこ見てるな。 「うっせ、たまたまだよ」  鼻で笑ったその人に、俺はずっと気になっていた質問をぶつけてみた。 「……俺になんか用なの?」  どうやら先輩じゃなさそうなので敬語を外し、ため息をつきながらきくと、目の前の男は赤い目を細めてから口を開けた。 「……お前さ、なんで幽霊がこの世にいると思う?」  一呼吸おいてから、逆に質問されてしまった。  少し考えてから答える。 「……未練があるから?」 「一般的すぎる解答をどうもありがとう」  そっちが聞いてきたから答えたのにこの言われよう。 「人は死んだら天国か地獄に行くんだ。知ってた?」 「死んだことないから知らなかった」 「ひねくれてんな」  アンタほどじゃないだろ。  ひねくれた天パの持ち主は、一つ息を吐いて、説明し始めた。 「行き先が天国でも地獄でも、連れていく途中で、死んだことを受け入れられなくて、暴れてこの世に戻ってくるやつが結構いたんだ。それを探してまた連れていくのが大変でさ、だから上司が、まあつまり神様なんだけど、どうせみんなこの世に戻るなら、最初から戻せばいいって考案して、死んだ後、しばらくこの世に留まることを許したんだ。大体、みんな人生で一番楽しかった時間に戻りたがるから、その時代の姿で、当時をしばし楽しんでいただくわけ」  長身の天使さま(仮)は疲れたように肩をすくめた。 「それで、しばし楽しんでいるのが、そこら辺にいる青いやつらってことなのか」 「そうなんだけど、なんでだろうな。みんな決まって学生時代に戻りたがる。そのほとんどが高校時代。よっぽど楽しかったんだろうな」  おかげでこっちは仕事が増えて大変だ、と彼は嘆いた。その呟きに俺は小さな疑問を感じた。 「仕事って?」  天国への案内人じゃないのか? 「あー、違う違う。幽霊もさ、大概のやつらは楽しくなったら勝手に成仏してくれるんだけどさ、たまに悪さをする奴がいるから。治安維持。簡単に言えば警察官?」  治安維持、か。確かに、物に触れるからって、幽霊に俺のホッチキスを持って行かれそうになった時にはさすがに焦ったことがある。 「そうそう。あいつら自分が死んでるって気付いてないから、普通に色々しでかすんだ。七不思議とかもそれ。マジ厄介」  はぁあああ、と心底面倒くさそうに、まだ就職先の決まってない大学生四年生のようなため息をついた。 「で、俺の担当区域がこの学校なのよ。でも何気この高校広いじゃん。俺一人で見周りとかできる気がしないんで」  今までこの学校でやってきたんじゃないのか。 「今日から派遣っす。だから、これやるよ」  と言って渡してきたのは白い笛。百円均一で売ってそうな、体育教師が使ってそうな、ちゃっちい笛。短いチェーンが付いているので、キーホルダーにもなるようだ。 「何だよこれ」 「笛」  見りゃわかる。 「なんか、怪しいやつ見つけたり、身の危険感じたりしたら吹いてくれよ。行くから」 「いきなり笛吹くなんて、俺が一番怪しい奴じゃん」 「大丈夫。オレにしか音聞こえないから」  音のしない笛を吹くって俺はいったい何者なんだ。  なんて文句を言っても仕方ないので、笛をポケットにねじ込む。やる気のなさそうな赤目の人は、ふぅと一件が落着したような息を吐いた。俺はその人に今更ながらの疑心の目をぶつけてみる。 「そもそも、アンタはほんとに天使なのか?」 「これだけ聞いといて疑うのかよ、たりーなお前。何も言わずに信じとけよ。幽霊見えるんだからそれでいいじゃねーか」  言ってぽんぽんと俺の頭を触った。何だか悔しい。 「あとオレ、他のやつには見えないから、話しかける時は注意しろよ」  付け足された言葉を聞き流しつつ、自分の背の低さを恨んでいると、思いだしたように天使が手を打った。 「そうだ、名乗ってなかったな。ソラっていうんだ、よろしく」  性格と違って、名前は随分と爽やかだ。 「うっせ。お前は何て言うんだよ?」 「かつら、つぐ」 「へぇ、どんな字?」 「花の藤で、かつら。続くって一文字で、つぐ」 「お前の名前、なんか全体的に面倒くさいな」  好きでこの名前になったわけじゃない。別に特別自分の名前が嫌いなわけでもないけど、初対面の人に会うたびに説明するのが少し嫌にはなっている。 「かったるいから平仮名で呼ぶわ。つぐー、つぐー」  お好きなように。 「じゃあ、俺もう帰っていい?」 「え? 帰んのお前? 帰宅部かよ、しけてんなー。そんなんじゃ、死んだ時素直に成仏するしかないぞー」  素直の何がいけないんだ。  背中でソラの声を受けながら、ようやく男子トイレから出て、再び太陽を拝んだが、相変わらず気温は俺の汗を促し続けていた。    次の日も殺人的な暑さが地上に降り注いだ。昼休みにいつものグループ、俺含め男子五人で弁当を食った後、やることがないなー、と思い始めた頃に、一人が言いだした。 「野球拳やらね?」  この暑さに頭がやられたかのような提案に、誰が呆れるでもない。 「おぉっと?」 「いっちゃう? いっちゃう?」 「よしきた任せろ」  全員が参加の意を示してしまうのが男子だった。俺も例外ではない。教室にはさすがに女子がいるのでベランダに向かう。  俺の通っている私立高校は、廊下に面している壁には黒板があり、黒板の両サイドに開き戸が付いているという教室だった。黒板を前とするなら、後ろには窓とベランダがあり、左右の壁には男女のロッカーが鎮座している。ちなみにこのベランダ、隣の教室とも続いていたりする。  エアコンの効いていた教室からベランダへと踏み出せば、予想以上の熱が襲いかかる。あちーだの何だの口ぐちに言いながら、みんなじゃんけんの準備をした。 「や~きゅう~をす~るなら~」  言いだしっぺが音頭を取り始め、全員が真剣な顔つきになる。脱ぎたいような、脱ぎたくないような微妙な心境の中、三択を託された右手に力が入った。 「よよいのよい!」  出された六つの手は五人がパーで、一人だけチョキだった。げ、俺脱がなきゃ……。  いやいやいや六つの手ってなんだよ。俺達五人だったぞ。  思った瞬間、隣から声がした。 「おっしゃぁ! 勝った!」  まぁ、予想はできていたが。  青い、知らないお方が、ガッツポーズをして喜んでいた。  どうやら初対面の、野球拳をしようなどという馬鹿の集まりに、自分から入ってきてしまったらしい。ものすごい勇気の持ち主だ。フレンドリーすぎるだろ。 「ほらお前ら脱げぬげぇ!」  なんて言っても俺以外見えないわけで、テンションが高くなっているところ、申し訳なく、俺達はじゃんけんを続けていた。 「あーいこでしょっ!」 「え、ちょ、なんで無視すんだよ! おいおい」  そのまま諦めて帰ってくれると思っていたんだが、俺の考えはとてつもなく甘かった。  なんと近くにいた俺の肩をぐわし、と掴んできたのだ。  その人は学生時代に運動部にでも入っていたのか、豆や筋肉でとてもごつごつした手で、込められた力に俺の肩は悲鳴をあげ始めた。 「おい、なんとか言えよ!」  じゃんけんを続行している俺は今かなり褒められるべきだと思うが、ぎりぎりと確実に大きくなる痛みにさすがに耐えられなくなっていた。 「なあ!」  痛い痛い痛い。やばいってこれ、骨折れる。  左手でそっとズボンのポケットから笛を取りだして思いっきり吹いた。幸い友達はじゃんけんに夢中で、俺が笛を出したことに気付かなかったらしく、あいこは続いた。  肩が耐えられる限界の力が加えられ、なおかつ俺がじゃんけんに勝ったと同時に、大きな足音が聞こえたと思ったら。  俺の右肩を掴んでいたそいつの顔面に足が深くめり込んだ。 「うわーっ、負けたー!」 「ぅおっしゃぁ!」  負けたことに天を仰ぐやつ、高らかにガッツポーズを決めるやつ。色々いたが、その横で、ドシャァとコンクリートの地面に倒れこむやつに、俺は目が離せなくなってしまっていた。  駆けつけたソラが跳び蹴りを食らわしたのだ。 「がっっ……!」  食らった方が痛そうに手で顔を覆っているのに対し、ソラは転げているそいつの胸辺りを革靴で踏みつけると、いつの間にか持っていた黒のハンドガンを顔前に突き付けていた。 「休み時間は終わりだ」  ソラが呟いた刹那、何の躊躇いもなく引き金を引いた。  銃弾に脳天を貫かれたそいつは、血が出るわけでもなく、ただ霧になって、散っていった。 「ふぅ」  ただ呆然と突っ立っていた俺は我に帰り、一仕事を終えた、というすっきりした表情で立ち去ろうとするソラの首根っこを掴んだ。 「わりぃ、俺ちょっとトイレ!」 「すぐ戻ってこいよー!」  すでに上半身裸の友人に断ってから、屋上に続く階段へと走って行った。    人気のない場所っていったらここだよなと、俺は自分のロケーション選択の良さに拍手した。  なんで屋上の出入り口に連行されたのかわからない、という顔のソラの胸倉を握りしめて怒鳴る。 「何だよ今の!」 「何って……。成仏させただけだろ」 「物騒なんだよ!」 「世の中?」 「お前!」  成仏させたってなんだよ、お前天使なんじゃないのかよ、やり方が天使と言うより悪魔だよ! 「あぁ、はいはい。なるほどな。ちゃんと説明するから」  どうどう、と言い始める天然パーマを見ていると、荒げていた息も落ち着いてきたので、胸倉の手の力を緩めた。 「アレ、強制成仏って言って、名前のまんま、無理やり成仏させるやり方なんだけど、地獄にしか行かせることができないから、普段は絶対やっちゃいけないことで」  ごそごそとズボンのポケットからさっきぶっ放したハンドガンを取りだした。本物の銃を生で見るの初めてだ。 「一応最終手段なんだけど、幽霊が問題を起こした時に限っては使うことが許されるんだ。やり方は人それぞれでさ、俺の場合は銃だけど友達の美人になると花渡して成仏させる奴とかいる」  どうせ仕事手伝うならその人がよかった。 「だが男だ」  なんだ、美人とか言うから期待したのに。 「しかもオレ銃使うの苦手でさ。あれくらい至近距離にいないと当たらないんだよな。だから最初は肉弾戦に勝つことからなのさ」  苦手ならもっと穏やかな解決方法にしてくれ。 「いや、でもほら、銃って、かっこいいだろ?」  当たらなきゃ意味ないだろ。 「そうなんだけどな」  わずかに苦笑うソラにため息しかでない。 「まぁまた何かあったら笛吹けよ。すぐとんで行って、さっきみたいに成仏させるから」  俺の頭をポンと撫でてから、ソラは階段を下りて行った。  さっきみたいな成仏って……。  心臓に悪い上に、やられる幽霊が可哀そう過ぎてめちゃくちゃ笛吹きにくいんだけど……。  どうしよう、と肩を落としながら教室に戻ると、野球拳を続けていたらしい仲間が、ワイシャツのボタンを閉めながら、五時限目の準備をしていた。
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