陽苑の片想い

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陽苑の片想い

 手袋すればよかった。  ケーキの箱を両手で持ち歩いていると、手に冷たい風が刺さる。雪は降る様子はないけど寒い。  一人で食べるなんて、思わないんだろうな。  直径十二cmのクリスマスケーキ。  自分を祝うために買った。  珍しく時間通りに帰る私を会社の人が冷やかしたっけ。  でも、早く帰る理由は簡単。遅くなると街にカップルが溢れだし、嫌でも視界に入ってくる。あのカップルの中に彼と彼女が紛れているかもしれない、そんなことを思ってしまう。  だから、いつもより早めに退社した。  まっすぐケーキ屋に向かい、予約したケーキを受け取る。  悲しい顔をしないように、同情されないように会計をすました。  あの片想いに終止符を打った日、普段は絶対に買わない高級店のケーキ屋のクリスマスケーキを予約した。  一人で、楽しもうと思った。  美味しいものを食べて、好きなお酒も飲んで。  一年間、彼だけを想っていた。  彼は何年かかって想いを遂げたのだろうか。  ずっと、彼以外を見ていた彼女。  やっと彼の想いに気付いたのか。  いつか……  もしかしたら……  私を見てくれるかもしれないと、想い続けていた。  でもそれは所詮叶わぬ夢だった。                      § § §  カンカンと金属音を響かせ、私はアパートの階段を上る。  一LDKのアパートに住む人はほとんどが独身だ。私みたいにクリスマスイブの夜、家で過ごす人は少ないみたいだ。ほとんどの部屋の電気が消えている。  彼氏、彼女がいなくても、寂しさを紛らわせるために友達と騒ぐのだろうか。  ケーキの箱を片手で持って、空いた手で鍵を探す。  鍵を開けて入ると、少しだけ温かさを感じた。  風が入らない部屋は外に比べると少しだけ温かい。ケーキをテーブルに置くと、まずはエアコンをつける。唸る音が始まり、少しずつ暖かい風が吹いてきた。 「クリスマスは二人だけでね」 「二人だけ?」 「そう。二人だけ」   一週間前、飲み会に遅れていくと二人の声が聞こえた。二人は顔を寄せ合い、その距離はかなり近かった。  クリスマス、去年は真戸香(まどか)と翔(かける)くん、そして他の友達を呼んで騒いでいた。でも今年は違う。  私は頭が真っ白になった。二人は私にはまだ気がついていないようで、楽しそうにじゃれあっている。  鼻がツンと痛み、涙がこみ上げていくのがわかった。  私は背を向け、店を出た。そして携帯を取り出し、メールを二人に送る。 『ごめん。今日はいけない。二人で楽しんで』  するとすぐに返信が来た。 『遅くなってもいいから来れないか?』  そう返事をくれたのは翔くん。  指が震え、何か打とうとする。でも結局何も浮かばず携帯を鞄にしまいこんだ。  最初から、わかっていたはずだった。  二人の間に入った私。邪魔だったんだ。始めから。  彼と会ったのは一年前、真戸香の飲み会。  幼馴染として紹介してもらった。  彼は優しい小さな目をしていた。  ゲジゲジ眉毛じゃないけど、手入されている様子もない眉毛。それが柔らかいカーブを描いている。鼻は少し高めだけど、シャープな感じじゃなくて丸い。  唇は奇麗な三日月みたいで、いつも微笑んでいた。  けしてハンサムな方ではないけど、人懐っこい顔をしていた。  彼の彼女への想いはすぐにわかった。なのに、私は彼を好きになってしまった。  ずっと彼を見てきた。  報われない想いを抱く彼を。 『告白したほうがいいよ』  二人っきりになった時、胸を痛めながらそう助言したこともあった。 でも彼は苦笑するだけで、答えなかった。  一年の間に真戸香は、二人の人と付き合った。全部、彼とは正反対のタイプ。  明るくて、社交的で綺麗な真戸香。付き合う人もカッコイイ人ばかりだった。  彼は真戸香の相談に笑顔でのっていた。私はそんな二人をずっと見ていた。  でも、終ったんだ。  私は暖かくなった部屋で、ケーキの箱のリボンを解く。現れたケーキは真っ白な生クリームのケーキ。小さなサンタクロースがにこりと微笑んでいる。  小さい時から夢だった。  一人で丸いケーキを全部食べる。  それが叶った。  お皿にいれるのも面倒で、椅子に座るとそのままスプーンでケーキをすくう。柔らかいケーキはスプーンで簡単にすくえた。  口に入れるとほわんと甘さが広がる。  するとなんだか、涙が出てきた。美味しいケーキ、だけど涙の味で少ししょっぱい。  私は涙をティッシュペーパーで拭い、お酒を探す。  強い酒が飲みたい。  考えることができないくらいに、酔いたかった。  ピンポーン。  どれくらいたったのだろうか。  三十度の泡盛を見つけて、ロックで飲んでいた。  泡盛とケーキ、なんだか意外にマッチしていてぐいぐい飲んでいた。  頭がぼうっとしてきて、うつらうつらした。  その時になったのがドアのチャイム。  体も重くて、テーブルに乗っかった頭が上がらなかった。柱時計を見ると時間は九時近く。こんな時間に来る人なんているはずがない。酔っ払いか、変な人だ。  居留守を使おうと黙る。 「陽苑!いるんだろう?」  するとドアを叩く音と彼の声。  酔いすぎて、幻聴を聞いているのだろうか? 「真戸香から聞いてる。今日は友達の誰とも飲んでない。家にいるんだろう?」  幻聴ではない。  急に目が覚め、胸がどきどき言い始める。 「……真戸香もいるの?」  声まで緊張していて、そう聞いた私の声は震えていた。 「いないよ。なんで?寒いから、早く入れて」  くしゅんとくしゃみの音まで聞こえてきて、私はのろのろと体を起こす。ドアを開けると、風と共に彼が部屋に入ってきた。  彼は腕をすりすり擦り、とても寒そうだ。 「な、なんで?」  どうして彼がここに?  変な期待が膨らんでいき、胸が破裂しそうになっていた。 「クリスマスなのに、一人で過ごしているって聞いて心配になって」 「心配?翔くんには関係ないでしょ」  期待がやはり期待だけだったと、私はそっぽを向く。 「ああ、俺には関係ないよ。でもいきなり電話をとらなくなった理由を教えてくれよ。なんか突然シャットアウトされて、どうしていいかわからない」  彼は困った顔、悲しい顔をしていた。でも悲しいのは、惨めなのは私だった。 「……わからないって。私、あなたが好きだったの。でも真戸香と付き合うと知って、自分が惨めで連絡をとりたくなかったの」  お酒の勢いのためが、私は自分が溜め込んでいた感情を吐き出す。 「俺が真戸香と付き合う?誰が言ったんだよ。そんなこと。だから。なんか一週間前からおかしくなったのか。俺と真戸香が連絡しても答えない。あげくに着信拒否。ありえねー」  そんな私に彼も少し怒った様子を見せる。 「だって、私、聞いたもの。二人がクリスマス、二人だけで過ごすって」 「あ?いつの話?」  覚えがないと彼が口をへの字にする。眉毛は怒ったままで不思議な顔だ。 「あの1週間前の飲み会」 「あの時、来てたんだ。でもどうやったらそんな勘違いが生まれるんだよ。俺と真戸香は普通に話していただけなのに」  彼の言ってることが全然わからない。 「確かに俺は真戸香が好きだった。でもそれは終わった話だ。とうに告白して玉砕して終わってる」 「いつ?聞いてないよ!」 「話すわけないだろう。ぎくしゃくするのが嫌だったから」 「でも、ずっと真戸香のこと見てたよね」 「俺は、陽苑(ひその)の顔を見るのが恥ずかしかったんだよ。だって、俺が振り返るとずっと俺のこと見てただろう。だからなんだか」  彼はくしゃくしゃっと自分の髪をかきあげる。 「……見てたって。私が見てるの気が付いてたの?!」 「うん、気づいていた。だから」  私はあまりにも恥ずかしく、その場に座り込む。  気がつかれていたんだ。 「ごめん。俺、気づいていたけど、言わなかった。誰かに好かれてることがこんなに嬉しいことだと思わなかった。でもそれは想っているほうが辛いんだよな。俺も片想いで苦しんだのに。ごめん」  彼は私に視線を合わせるようにしゃがみこむ。 「俺はこんなやつだし、お前に好かれるようなやつじゃないと思う。だけど、俺はいつの間にか、お前が好きになっていた」 「……」  頭がぼうっとして何も考えられなかった。 「さあ、立って。二人でクリスマスのお祝いしようぜ」  彼はにこっと笑い、手を差しだす。  私は恐る恐る、その手に掴まった。  すると遠くから聖歌が聞こえてきた。どこから聞こえるのか、わからないけど、たしかクリスマスによく聞く聖歌だった。  やけにタイミングよくて、私はびっくりしながら彼の前に立つ。 「ごめん。遅くなって」  彼は申し訳なさそうに笑い、私をぎゅっと抱きしめた。  コートの冷たさが私の火照った頬を冷やす。  ひんやりとした感触が、これは夢ではないことを伝えてくれる。  クリスマスの夜、サンタクロースは私に恋人を贈ってくれたようだった。
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