二章:糸紡ぎの女神

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「ラケシス様って気さくな方だったわねぇ♪とても楽しかったぁ♡」 冥界の門を通り過ぎた所で、上機嫌なイシュリィは両手の指先を合わせ、ふふっと笑った。 唐突に始まったお茶会。 その内容は好みの甘味の話だったり、ドレスや宝飾の話だったりと、女性の興味を惹くような内容が多かった。 その中でも、人間界ともつながりのあるラケシスの話はイシュリィにとっては新鮮で、彼女を十二分に満足させるものだった。 ソロモンが盛大な溜息を吐いた。 「…何を呑気な…。イシュリィ様の命運があの姉妹の所為でメチャメチャにされているんですよ?」 「んー…それはそうだけど、それを嘆いたところで変わらないでしょう?それより、”今までとは全く異なる運命を辿る”なんて言われた方が私にとっては重要よ!だって、もしかしたら人間界に行ける運命が来るかもしれないじゃない♪」 あっけらかんとした、何の確証もない楽天的な発言。 イシュリィ本人は変わってしまった運命を全く気に病む素振りがない。 その様子が何とかしてしまいそうな、本当に何とかなってしまいそうな錯覚を起こすから性質(タチ)が悪いと、ソロモンは心中で呟くのだった。 「…ほんの少し。ほんの少しでいいのよ。魔界の人間が持たない感情を持っている人間の世界を見れるだけでいいから…そんな運命が紛れてくれていたらいいのに」 「魔界の人間が持たない感情を持っているということなら、この冥界や天界も同じことが言えるじゃないですか」 ソロモンの言葉に、イシュリィは口を尖らせる。 「冥界や天界は、多少なりとも交流があるじゃない」 ソロモンは来た時と同じ石階段の前でランタンに火を灯すとイシュリィに手を差し伸べた。 彼女が自分の手に触れたことを確認すると、一つ二つと石段を上る。 ソロモンの深い緑色、イシュリィは仄かに紫がかった灰色。 暗闇の中で、夜目を利かせた二人の瞳が淡く光った。 「交流…と言っていいものかはわかりかねますが、確かに関わりはありますね」 基本的に天界人とは犬猿の存在仲である。 イシュリィが即位するまでの歴代の魔王達は、お互いの地位と権力を知らしめる為に幾度となく戦争を行ってきた。 しかしながら一方で、彼女が即位してからは魔界にしかないものや天界にしかないものを交易するくらいには良好な関係も保たれている。 「人間界とも不可侵条約を結んでいるのだから」と、単身で天界に乗り込み、サクッと不可侵条約を結んできたことで、ソロモンが自分の寿命の縮まりを感じたのは百年ほど前の話だが、まだ記憶に新しい。 そうやって破天荒な行動をしつつも、魔界を平穏に統治してしまうのがイシュリィという現魔王だ。 「それにね、ラケシス様の話だと今生きている人間は魔力を持つ人間はとても稀で、魔界や天界のように王のような絶対的な存在を作らず、複数のリーダーを立てて生きているらしいの。魔界でいう、貴族達7名ですべてを決定するみたい。魔界じゃ私がイエスと唱えればそれは7名が反対していても意見が通ってしまうでしょう?人間に学ぶべきところは多いと思うのよ」 表情などは暗闇で殆ど見る事は出来ないが、耳に届く声は真剣だった。 「そうやって魔界も平和であれば、魔力のない人間が魔界に訪れても平気な時代が来るかもしれないじゃない?」 「…それは難しいでしょうねぇ。魔界には瘴気がありますし。魔力の無い人間では自分を守る障壁を作れませんから、足を踏み入れた途端に消滅しますよ」 「あぁっ!瘴気のこと忘れてた!」 イシュリィは計画の落ち度を気付かされて、思わず自分の額をペチンと叩く。 「そうなると瘴気の浄化が必要だけど、魔界人(私達)の魔力や生命力の源だから完全に浄化してしまったら生きていけないし…むぅ~…」 「…イシュリィ様の盲目的なその人間愛は何なんでしょうねぇ」 ぶつぶつと改善策を思案するイシュリィを背に、ソロモンはポツリと呟く。 脆弱な種のことなど、王である彼女が気にする事ではない。 ましてや魔界には何一つ関わりのない存在だ。 例え関わりがあったとしても、何もかもが違い過ぎて相容れない存在だろう。まだ、長年敵対している天界人の方が対等な物言いが出来る。 「…ソロモン、痛い」 イシュリィの声にソロモンは我に返る。 「すみません…。少し、考え事に集中しすぎました」 いつの間にか手に力が入っていたようだ。 慌てて握っていた力を緩めて振り返る。 ランタンに照らされたイシュリィの顔は、不安とも訝しげとも取れる感情を浮かべていた。 小さなものに気を割き過ぎて、いつか彼女が足をすくわれるようなことになるかもわからない。ましてや、モイラの三女神によって彼女は運命を変えられてしまった。彼女にとって、その不安要素は十分なほど膨れてしまっている。 「―…貴女を守ります。どんなことがあろうと」 自然とその言葉は、彼の口をついた。 一度きょとんとした顔をしたイシュリイは笑う。 「じゃあ私はあなたを守るわ、ソロモン」
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