二章:糸紡ぎの女神

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水面が揺れる。 魔界へ戻る為の階段を上るイシュリイとソロモンの2人を映していた水鏡は一度黒く染まり、やがて部屋の中を映した。 映した室内にはモイラの三柱の姿もあった。 「滅茶苦茶イイ男じゃない、超美男子♡ラケシス姉様だけで会うなんてズルいわ。私も目の保養にしたかったのに」 アトロポスは水瓶の縁を悔しそうに叩く。 「そうよ。私だってあの子達からの外の話を聞きたかったわ。ラケシスばっかり楽しい時間を過ごすなんてズルい!」 クロトーが続けた。 手にはイシュリイが手土産にした焼き菓子が摘ままれている。 「…アナタ達がそうやって勝手なことばかり言うから、2人とも謹慎にしたんじゃない。いいでしょ、ちゃんと彼女から貰った手土産は楽しめてるんだから」 ため息交じりにラケシスは言った。 「それにあの銀の髪の子。元凶のアナタ達が目の前にいたら、モイラの三柱とか、立場とか関係なしに首を取りに来てたと思うわよ」 「「え゛っ」」 クロトーとアトロポスが同時に声を挙げる。 ラケシスが事の次第を説明し終えた直後、既にソロモンは無表情の怒気を含めていた。 主君へ侮辱的な扱いを行った現状に怒りを示していたのだと、彼女は最初そう思っていたのだが、話を聞き終わった後のイシュリイとのやり取りで彼女の性格を察し、そして彼が彼女の発言を予想していたからこその怒りだったことを悟った。 忠誠か。 愛か。 どちらにしてもソロモンという男にとって、イシュリイは特別な存在だと理解するのは容易かった。 女神の身勝手を彼女に伝えた瞬間のソロモンの殺気は凄まじかった。 イシュリイの気の抜けるような返事でそれは一瞬で消えてしまったが、それは震える手が汗を握るのに、平静な顔をしているのがやっとな程。 「アナタ達がピーチクパーチク横で騒がしくしていたら、彼の怒りは彼女の言葉では治まらなかったでしょうね」 思い出して、ラケシスは身震いした。 「で、でもっ!もう納得はしてもらえたんでしょ?今後は友好的な関係を気付けるようにお誘いしたら、たまに遊びに来てくれたりしないかしら?」 気を取り直すように、クロトーは人差し指を立てて提案する。 「いいわね、それ。あの魔界の小娘が来るなら、あの男も付いてくるでしょう?今度こそお近付きにならなきゃ♪」 アトロポスが軽い調子で賛同した。 2人を見ていて、ラケシスは頭痛を覚える。 確かにイシュリイの性格なら、彼女達が呼べば喜んで冥界に訪れるだろう。 そして、彼女が冥界に足を運ぶなら、アトロポスの言うとおり側近であるソロモンももれなくついてくるのも簡単に想像できる。 だが、”運命”を司るモイラの女神が一定の生命と関わり合う事は出来ないのだ。 だからこそ手を加えるのではなく”見守る”という選択をした筈なのに、姉妹はちっともそれをわかっていない。 始まりさえ覚えていない遠い昔からの月日を単調に過ごしてきた故に、久しぶりの来訪者に周りが見えなくなっているのだろうが。 (…私も”祝福”を与えてしまったから、人のコト言えないのよね…) 姉妹を強く嗜める事も出来ず、ラケシスは大きく息を吐いた。 「でも懐かしいわよねぇ。あいつらの”糸”。後にも先にも、あんな糸を組んだのは初めてじゃない?」 頬杖を付きながら、しみじみとアトロポスが口を開いた。 その言葉に、クロトーとラケシスは顔を向ける。 クロトーがおもむろに人差し指を立てて振ると、部屋にある棚の一つの扉が開いた。 ガラス瓶が一つ浮かんで、テーブルの上にすとんと着地した。 黒と黄金の混ざった糸。 他の色が混ざりそうもないその糸を、美しく清廉された白い輝きが覆ってまるで別の色を作り上げているようだった。 「ありがちだった”運命”の可能性を色々と模索したわよねぇ」 懐かしむように、クロトーは言った。 「…”秘密を持つ者達(セクレトゥム・セラフィム)”。私達にとって、考えて考えて作った、とっておきの”運命()”だったわ」 アトロポスは黒と黄金の混ざった糸の入ったガラス瓶の隣に、絡みに絡んだ淡く光る白い糸の入ったガラス瓶を置いた。 まるで対照的な色であり、しかし似たような色を見せる糸を、3人の女神は無言で見詰める。 「…あいつらに与えた”秘密(セクレトゥム)”の糸、どう転ぶと思う?」 アトロポスは2人の姉に問う。 しかし、誰もその問いの答えは口に出来なかった。
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