117人が本棚に入れています
本棚に追加
/54ページ
よく晴れた日だった。
清々しい青が痛いほどの光を放って、全身がピリピリと焼けるような気がする程だ。
強引に家を追い出された百合は行く当てもなく、フラフラと道を辿る。
陽の照りつける強さに嫌気が差して空を見上げた。
「―きゃ…ッ!?」
何かに足を取られて、百合は躓いた。
反射的に振り返ってその原因を目視する。
黒い塊。ではなくて、全身真っ黒な服を着た男性だった。
勢いよく躓いた為に衝撃は相当だった筈だ。
それなのに、ぴくりとも反応しない相手に百合は慌てて声を掛ける。
「え…ちょ、ちょっと!大丈夫ですか!?」
相手に触れて、その熱さに思わず手を離した。
「熱…ってことは、もしかして熱中症?」
意識が無いので動かそうにも体格差で難しい。
少しでも日差しから避けようと携帯を肩と頬で抑えながら男性を引きずりながら道路の端に寄せて塀の影に入れる。
辺りを見回しながら携帯電話で119を押してコール音を聞く。
数メートル先に自動販売機が見えた。
すぐに電話は繋がった。
救急車の手配をしたいことを伝えると、救急のコールスタッフに現在地を訊かれたので、自動販売機まで走って記載されている住所を伝えた。
コールスタッフの質問といくつかのやりとりをして電話を切る。
百合は自動販売機の水を抱えられるだけ購入して男性のもとに戻った。
電話で教えられた通り、首、両脇、太ももの付け根を冷やす。
一連の作業を終えると救急車の到着まで所在がなくなってしまったので、地面に座った。
「はー…。まさか、こんなことに巻き込まれるとは思わなかったなぁ…」
先程までは目の前の事に手いっぱいだった百合だが、自分自身が出来る事を全て終えて考える余裕が出来たことで漸く肩の力を抜いて息を吐く。
先程、失礼だとは思ったが男性の素性をコールスタッフに伝える為に持ち物を確認した。
その際、財布を身に着けていることに気付き、その中で保険証を見付けた。
「”山茶花 百世”さん…。変わった名前」
保険証に書かれた文字を眺めながら、百合は呟く。
ただ、字の並び方が綺麗だなと何となく思った。
保険証に書かれている情報から、彼は自分よりも9つ年上のようだ。
ちらりと横に倒れている”山茶花 百世”という男に視線を向ける。
日陰に入れたとはいえ、それでも太陽が高いこの時間帯は暑さを誤魔化せない。
彼は、じわりと玉のような汗を滲ませている。
首を冷やしていたペットボトルは既に温くなっていた。
救急車の到着はまだだろうかと、百合は携帯電話の時間を確認するが救急車を呼んでからまだ5分程度しか経っていない。
せめて誰か通りかかってくれれば、その人間にこの場を任せて少し離れたところにあるコンビニで氷を買ってくることも出来るのだが、百合が今いる場所は住宅街ではあるが、道が狭い。
車を利用する人は一度大通りに出て移動する為、通勤や買い物などのラッシュ時間でなければ、人通りはほぼ皆無だ。
近所の老人がきまぐれに散歩に出たりすることもあるが、今日のような暑い日ではそれも期待できない。
「…こういうとき、魔法が使えたら…って、思ったりするよねぇ…」
例えば、日差しを弱めるような。
例えば、辛そうな熱を取り除けるような。
そんな、ささやかな願いを叶える為の魔法でいいのだ。
「この水が凍れば…」
彼がきちんとした処置をしてもらえるまで安心できるかもしれないのに。
――ピシ…ッ
急に掌に冷たさを感じた。
「!?」
百合は目を丸くする。
ペットボトルの水が凍っているのだ。
先程まで、ぬるい温度を感じていた筈の水が今は冷気を放っている。
「えっ…えぇっ!?なんで…!?」
有り得ないことが目の前で起こったことへの戸惑いで思わず声をあげる。
「えっ、えっ、何これ…!私が”凍ればいいのに”って思ったから!?ウソでしょ!?」
他のペットボトルも同じように試してみると、同じようにペットボトルの水は氷になった。
現実を受け入れられないまま、その凍ったペットボトルを使って”山茶花 百世”の身体を冷やした。
水が凍ってしまったら今度は地肌には冷たすぎるのではないだろうか、などと何故か冷静な考えをしている自分に、百合は頭の中でツッコミを入れる。
(人間、パニックになると意外と冷静な判断が出来たりするのかしら…)
百合は自分がハンカチを持っていたことを思い出して、ハンカチでペットボトルを包み、首を挟んで冷やすのではなく枕のように首の下に差し入れた。
それから暫く様子を見ていると、彼の汗は落ち着いたようだった。
彼の顔色が少し回復したように見えて安堵してから5分後に救急車が到着したので、漸く自分の役目から解放されると思ったのも束の間。
発見時の状況などの確認をするのに同行することになるとは、百合は思いもよらなかった。
最初のコメントを投稿しよう!