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遠くに感じる光。
鼻を突く消毒液の独特なにおい。
ゆっくりと瞼を開けた先に見える白い天井。
「あ、起きました?」
「……誰?」
朧気な意識でかけられた声の方向には、見知らぬ少女の姿があった。
心当たりがない少女への疑問は自然と口から零れていた。
気分を害する様子もなく、少女は自分の名を名乗ると事の経緯を説明する。
その最中で非常時とはいえ財布の中を見てしまったと、彼女は丁寧に謝罪で頭を下げた。
睡眠不足と疲労からくる熱中症。
加えて栄養不足という散々な内容を聞き、そして納得した。
「ぁあ…そういや、ここ最近缶詰だったから…」
「カンヅメ?」
彼女の質問に、少し答えるのを躊躇った。
「………作家、だから。締め切りが近いのに全然書けなくて、今朝までずっと作業場に閉じこもってて…」
「えっ!山茶花さんって作家さんなんですか!?」
物珍しい職業だからだろうか。
少女は顔を輝かせて声をあげた。
「わー♡作家さんと会えるなんて嬉しいです♪私、本が好きなので。普段どんな作品を書いているんですか?私も読んだことあるかな…」
少し、息苦しくなった。
「別に…大した本じゃない。読む価値もないよ」
「?…好きで書いてる訳じゃないんですか?」
不思議そうな表情を浮かべている。
純粋な疑問を浮かべた瞳は無垢で残酷な言葉を突き刺した。
「それは、アンタに言わなきゃいけないこと?」
質問を受けた瞳は、きょとんと目を丸くして瞬きをする。
そして、笑った。
「…いいえ?」
彼女はそれ以上を続けることを止めた。
「でも、山茶花さんの作品を読んでみたいのは本心ですよ」
彼女がそう言ったタイミングで病室に看護師がやってきた。
意識が戻ったことを確認した看護師はいくつか問診をすると言う。
少女は飲み物を持ってくると言って、看護師と入れ違いに病室の外に出て行った。
問診に全て答え終えると、身内への連絡先がわからなかった為に少女がずっと付き添っていたのだと看護師が聞いた情報に補足してくれた。
そこで少女に礼の一つも言っていないことを思い出す。
点滴の落ちる速度を調整して、看護師は時計で時間を確認する。
「この点滴が終わって眩暈とかがなかったら帰れますからね。あともう少し安静にしていてくださいね」
「はぁ…」
生活習慣を改めろとお小言を残して看護師が病室を出ていくと、病室は静寂に包まれた。
正確には扉一枚、壁一枚の距離を挟んだ音は微かに聞こえている。
自宅に閉じこもっているのと少し似ている環境に、少し安堵を覚えた。
普段あまり人と接する機会がないので、先ほどまでの他人との距離感はどうにも苦手意識を感じてしまう。
「…問診、終わりました?」
ノックの音が響いて扉が開くと、先ほど出て行った少女が扉の隙間からひょっこりと顔を出した。
頷くと彼女はビニール袋をガサガサさせながら部屋に入る。
「山茶花さん、お水飲めそうですか?もし良かったらどうぞ」
「どうも…って、なんかコレ中身ちょっと凍ってない?」
受け取ったペットボトルがカロン、と音を立てた。
「山茶花さんが倒れてるときに身体を冷やそうと思って買ったやつなんですけど、ナースステーションに預けてたのがいい感じに溶けてたから持ってきちゃいました。ペットボトルだと飲みにくいかもって思って売店で紙コップとストローも買ってきてみたんですけど、使います?」
紙コップとストローを左右の手で持って、少女はニコニコしながら訊ねる。
その姿は何となく毒気を抜かれる気がした。
「あー…なんか、至れり尽くせりで…」
おそらく年下であろう彼女を見ていて居たたまれなさを感じる。
「あの、なんか…その、すんませんでした。見ず知らずなのに世話かけて…」
口が動かない。
言葉も浮かばない。
相手の顔すら見れず、歯切れの悪い稚拙な謝罪。
彼女はまた、ぱちぱちと瞬きをした。
「山茶花さん」
「…はい」
自分の大人げなさにどれだけ呆れられた表情を浮かべられているのかと、恐る恐る彼女を見た。
「体調はもう平気ですか?今、つらいところはありますか?」
「いや、ない…です…」
先ほど、看護師にも訊かれた質問だった。
真面目な顔をして質問する彼女につられて、先ほどと同じ回答をする。
「それなら、見ず知らずでお世話をした甲斐がありました。たまにはいつもと違ったことをしてみるのも良いものですね」
ふわりとあたたかく、彼女は笑った。
「………”山茶花 百世”」
「え?」
「さっき、アンタ言ったでしょ。俺の作品読んでみたいって。本名で調べれば出てくるから」
彼女の顔が嬉しそうに華やいだ。
「早速調べちゃいます!」
「バッ…目の前で調べるのはやめろ!」
携帯を取り出した彼女に思わず飛び起きる。
急に身体を動かしたせいで眩暈を起こした。
「わわっ、大丈夫ですか?」
慌てて寄ってくる彼女のお人好し具合に、なんだか笑いが込み上げた。
久しぶりの感情だった。
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