四章:乙女の正義

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四章:乙女の正義

その日はいつもよりほんの少し日差しが弱かった。 空は青い。 耳を突く虫の声もカラリと響いていた。 百合は必要最低限のものだけを鞄に詰めて家を出る。 過ごしやすい気候だがそれでも身体をジワリと焼くような暑さは相変わらずだった。 携帯の画面で時間を確認すると予定よりも少し遅れ気味だった。 目的地に向かう歩調を速めて、百合は携帯画面を操作する。 百合:ごめんなさい    少し遅れるかも SNSでメッセージを送信する。 相手はこれから会う予定をしていた百世だ。 本の感想についてやりとりをするようになって、それが自然に感じるほどに定着した頃、百世から以前の礼を申し出られた。 百合はすっかり忘れていたので改めて断ったものの、彼が頑なだった為にそのような場を設けることになった。 百世の体調が回復してから彼が2度目の締め切りから解放されたタイミングだった。 携帯に着信があって確認すると、いつも通り短く承諾の返答がある。 待ち合わせは近所の公園。 徒歩15分の距離で本来なら遅刻などはあり得ない距離なのだが。 (…今日、お礼って何してくれるんだろう) 何度も頭を巡った疑問に頭を悩ませているうちに時間は無常に過ぎ去っていた。 今も、その疑問の答えは出ない。 まして百世と顔を合わせるのは病院でのやり取り以来なのだ。 頻繁に連絡を取り合っているとはいえ、改めて会うとなると緊張もしている。 (服、これで大丈夫かな。公園が待ち合わせだったから割とラフな格好できちゃったけど、どこか移動するならもっとオシャレした方がよかったのかも…) 涼しさと身軽さ重視でワンピースとポニーテールを選択した百合は今更そんなことを考える。 家を出るギリギリまで悩んだ割に、別に最良があったのではないかという不安を心に過ぎらせていた。 それもこれも、出掛けに母が「デート?」など不用意に無粋な詮索をしてきたのが悪いのだ。 その質問さえなければ、異性と2人でどこかに出掛けることが初めてだったことに気付くこともなかっただろう。 気温はさして高くない。 なのに、いつも以上に身体は熱を感じていた。 それは待ち合わせ相手の姿を捉えた瞬間に、より強く感じる。 「さ、山茶花さん!」 呼び声に振り向いた彼に、百合は胸がギュッと締め付けられるような感覚になった。 「久しぶり」 木陰にいた百世は木々の葉の隙間からキラキラと揺れる光を浴びながらそう言った。 百世はあまり感情を表に出す方ではない。 それでも、小さく笑ってこちらを向いてくれたことが百合は嬉しかった。 「お久しぶりですね!遅れちゃってごめんなさい。最近はちゃんとご飯食べてますか?」 「アンタ、久しぶりに会って早々に訊くことってソレなの?」 「だって最近までまた締め切りに追われてたって言ってましたし…」 真面目な顔をして百合が答えるとフッと息を吐く声が聞こえた。 それに気付いて顔を上げると、百世は背中を向ける。 「前みたいな極限は稀だから」 「”稀”ってことはゼロじゃないってことじゃないですか」 百合が頬を膨らませるのもお構いなしで、百世は歩き出した。 「ともかく。今日はアンタに借りを返す為に呼んでるんだから、好きなこと言ってよ。とりあえず行きたいとことか、やりたいこととか、欲しいものとか」 「えっ、そんな急に言われても…」 唐突な言葉に、百合は戸惑う。 「最近の若い子って、なんかそういうの沢山あるんでしょ?何でもいいから適当に言って」 「”若い子”って…。山茶花さんもそんな違わないでしょう。確か、私と9つくらいの差でしたよね?」 「アンタが小学校卒業した頃にコッチは成人してんだけど」 「えっ…それ聞くとちょっと確かに差を感じるかも…」 「オイ」 「あはは!冗談です冗談」 百合はケラケラと陽気に笑う。 くるくると表情を変える彼女に百世も息を吐きながらまた小さく笑った。 ひとしきり笑い終えて、少し考えた百合は思いついたように言った。 「…じゃあ、星が見たいです。山茶花さんの本で最初に読んだのが、星の話だったから」 「星?」 「山茶花さんの描いた世界、体験してみたいなって思って」 百世が顔を顰めた。 「…アンタってホント変わってるよね。あんなの、フィクションでしかない」 「ふふ。でも、沢山の時代を越えて同じ星の光を見てるのは事実だし、それは私の中に残るんですよ。それに付き合ってくれる山茶花さんの中にも」 「……変な女」 「それ、山茶花さんにそっくりお返しします。だって、そんな幻想(フィクション)に辿りつける考え方を持ってるじゃないですか」 無邪気な顔を、百合は見せる。 じんわりと優しい陽だまりのようなそれではなく、眩しく、突き刺すような。 彼女の発言に百世は何も言わなかった。 「…星を見るなら、今の時間は都合が合わないから…」 「見れますよ」 誤魔化すように話題を変えた百世の言葉を遮る。 先ほどと変わらぬ無邪気な笑みに、ほんの少しのいたずらっ子のような表情を混ぜて言った。 「昼間でも、星は見れるんですよ」
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