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不機嫌を少しも隠そうとしないイシュリィが急にピクリと動きを止めた。
一呼吸置いて、爆発音が響く。続いてもう一度。
「はー…」
頭を抱えるようにしてイシュリィは大きな溜息を吐いた。
爆発音から、災害級の大きな魔力ではない。
城の見張りからの報告がなかったことを考えると軍勢でもない。
それらを考慮すると、身の程を知らない愚か者が単体かごく少人数で魔王城に襲撃をかけたことになる。
「問題ないとは思いますが…少々、様子を見て参ります」
ソロモンが一礼をして踵を返そうとするのを、イシュリィは止める。
「いいわよ、そんなことしなくても。城の周りに張ってある結界すら破れない魔力で侵入なんて出来ないんだから」
俗に“魔王城”といわれるイシュリィの邸宅は、魔王の魔力によって障壁結界が常に張られた状態になっている。
それはイシュリィが王位を継いだ際、まだ若い王の座を狙おうと毎日のように襲撃者が現れ、読書の時間を削がれることに憤慨した為だ。
力の弱い者はその障壁の魔力に阻まれ身を焦がす為、城に近付く事も出来ない。しかし、決して破れないものでもない。外側は。
「…あ。時間は掛かったけど、もう少しで“1枚目”を壊せちゃいそうねぇ」
イシュリィは少し意外そうな声を出した。
“魔王城”を覆っている障壁結界は全部で3枚。城から最も遠い外側の結界は、魔界序列上位の者であればそれほど苦労せずに障壁を破れるようになっている。
それはイシュリィが“王”として、無作法に闘いを挑みその座を求める者達に与えた最低限の課題であり、密かなルールだった。
「私が片付けて来ましょうか」
「駄目よ。それじゃあルールを作った意味がなくなるもの」
そういってイシュリィは静かに、そして大事そうに愛読書を置く。ソロモンが椅子を引くタイミングで立ち上がると、また一つ、溜息を吐いた。
「最近は無謀な挑戦も減ったと思ったんだけどなぁ…」
「イシュリィ様がお優し過ぎるんですよ」
ソロモンが部屋の扉を開けた。
「結界を破った者への挑戦権など与えず、全てを遮断してしまえば宜しいのに」
長く続く石畳の通路。
コツコツとヒールの音を響かせながら歩くイシュリィの後ろでソロモンは笑う。
「それじゃあ、みんなは私が死なない限り、魔王の座を手に入れられる機会がないじゃない。それは不公平だし、閉じこもって隠れるように生きる“魔王”なんて誰が認めるの?」
争いを好まない平和主義。
自らの役目を重んじる誠実さと、秩序を唱え、それを尊守する平等さ。
魔界にはない感性で成り立つイシュリィはその個としてとても異端だった。
本来、魔界のシステムでは嘲笑されてそのまま命を嬲られるのが定石なのだが、彼女には絶対的な魔力がある。
イシュリィ当人は自身に頓着していないので全く気付いていないが、父であるルシファーの絶対的な気高さと母であるアスモデウスの他人を翻弄する魅了の力を引き継いでいるのは明らかだ。
凛と背筋の伸びた小柄な背中を一歩下がった所で追いながら、ソロモンはそっと胸に拳を握った。
再び爆発音が響く。
回廊の窓から空に浮かぶ黒い影を見てイシュリィは剣呑とした声を挙げた。
「あらあら。まぁまぁまぁ」
彼女は遠くを見る為に、敬礼するようなポーズをしてみせる。
「もう異貌しちゃってる。派手にやってるみたいだけど、“2枚目”はやっぱり壊せないみたいねぇ。向こうに行く前に魔力切れちゃうんじゃない?あ、でも怪我させるよりはそっちの方がいいのか。でも挑戦権を得た訪問者だし…」
独り言つイシュリィは、思案する。
”異貌”というのは魔力を体内に留めることなく垂れ流し状態で開放していることをいう。つまり、全力だ。
持久力の長短はあれど、全力を出し続けることが出来る者はいない為、魔力を持つものは普段、身に纏う魔力を抑える為の別の姿を持っている。
イシュリィやソロモンも例外なく力を抑えた姿なのだが、既に全力を見せてしまっている”訪問者”との勝敗は明らか。それでも戦意を失うことなく挑めるのは血気盛んな性格というところなのだろう。
「んー…仕方ない。ソロモン、行儀悪いのは許してね」
言うが早いか、イシュリィは窓を開け放つとそこから身を放つ。
彼女の身体は一瞬だけ下降すると、すぐに宙を舞った。
「!?」
猛スピードで近付くイシュリィに”訪問者”が気付き、彼女が交差したときには勝負はついていた。
”訪問者”は体躯を揺るがせ、そのまま地面に落下していく。
イシュリィはそれを結界で囲って止めると、その結界を魔力で勢いよく放り投げた。
「”しびれ魔法”かけちゃったけど魔力が届かない範囲になったら消えるから許してね~」
キラリと彼方に見えなくなった”訪問者”の影に手を振るイシュリィは慣れたように地面に足を着けた。
「雑魚過ぎる…」
イシュリィを追ってきたソロモンが呆れた声で呟く。
「あらソロモン、地が出てるわよ。結界を頑張って壊したんだから及第点よ」
脱力する彼を見ながら、けらけらと楽しそうに笑ってイシュリィは答えた。
パチンとイシュリィが手を合わせると、先ほど壊された結界が元通りに張り直される。
「イシュリィ様は甘すぎます」
「そう?さ、戻って新しい紅茶を淹れてちょうだい」
「…承知いたしました」
胸に手を当て、ソロモンは会釈する程度に頭を下げる。
先程の不機嫌さはどこへ行ったのやら、鼻歌交じりに部屋に戻る道を歩くイシュリィを見て彼は小さく息を吐きながら口角を上げた。
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