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   むっとした人いきれの波にのまれて、桜井千尋はずっと俯いていた。  電車から降りた後、ゆっくり歩きたかったが背後からため息や苛々した声が聞こえて足元を見つめる。  手摺りに捉まりながら階段を下りていると前の二人組の声が聞こえてきた。 「ソウタ、明日はやっと休みだな」 「でも雨らしいから俺は家で映画でも見るよ」 ──蒼大さん。  ふと顔を上げると自分より背の高いスーツ姿の男性の姿が見えた。ふと息を飲む。  きれいに襟足を切り揃えた髪、少し焼けたうなじ。しっかりとした肩幅に引き締まった腰。長い足が躍るように階段を下りる。見慣れた後姿。愛していた。愛していたあの人の──。 「蒼大さん……!」 「……えっ? ちょっ……!」  その瞬間。すべての景色が反転した。
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