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【再会、されど素直になれず】
10月16日、麻那は予約名簿を見て笑顔になっていた。長谷部の名を見つけた、12月8日から四日間の宿泊予定だ。
以前は「また来るんだ」くらいだったのに、今は何故か早く逢いたい衝動に駆られている。長谷部の顔が見れない事がこんなにも淋しい、長谷部の声を聞きたくて仕方がない。
今どこにいるのか知りたい、今、なにを思っているのか──。
*
予定通り長谷部は来た、極上の笑顔と共に。
「こんにちは」
長谷部は声が弾むのを抑えきれなかった、口角が思い切り上がっているのを自覚した。
「長谷部さん、おかえりなさい!」
麻那はとびきり元気な声で言っていた、それに気付き、内心自分に鞭を打つ。
「こちらに記名をお願いします」
顔がだらしなく緩みそうになるのを懸命に堪えながら、事務的に言う。
「はーい」
長谷部は大きな荷物を置いて芳名帳に名前を書く。
その様に麻那は見惚れた。意外にも細くて綺麗な指だった、その指が書く字もとても綺麗だった。几帳面な人柄を感じた。
記入された芳名帳を受け取り、長谷部にルームキーを渡す、いつもの201号室だ。
受け取った長谷部は身を屈めて床に置いた荷物を持ち上げようとする。
「あ、お運びします」
このホテルのフロント係はベルガールだってやる。今まで長谷部相手ならしたことは無かったが今日は声を上げていた、少しでもそばにいたいなどと言う気持ちは、自分でも気づかずに。
だが、長谷部はボストンバックを肩に掛けながら笑顔で言う。
「大丈夫だよ、君より力持ちだし、なにより大事な仕事道具だからね」
「あ、はい」
キャリーバッグの他に、ボストンバッグとふたつもカメラバッグがある。大事な物なら触らない方がいいのだろう。でもせめて鍵くらい……と麻那は思ったが、それは余計な仕事かもしれないとただ長谷部の背を見送った。
3階建てのホテルに、エレベーターはない。階段をえっちらおっちら上がり始めて、長谷部は麻那の申し出を断ったことを後悔する。
「──なにが、大事な仕事道具だよ」
いや、それに間違いはないが、もっと大事な物があったろう、と臍を噛む。
*
いつものように毎夜撮影に出かけた四日後、長谷部はチェックアウトする。
「今度はどちらに行かれるんですか?」
毎夜、仕事に行っていた長谷部に、麻那は聞いていた。結局仕事以外の話をしていない事を後悔しながら、それを止める事が出来なかった。
「いったん自宅に寄ってから、長野へ。流星群の写真を撮りにね」
「流星群? それって夏だけじゃないんですか?」
よく騒いでいるのは、ペルセウス座流星群とか言うものだ。確かお盆の頃だったと記憶する。
「実は一年中あるんですよ。12月はふたご座流星群が有名です」
「わあ、真冬の星空に流れ星かあ」
以前、大晦日の夜に見上げた空に輝く星々を思い出していた。
空いっぱいにオリオン座が瞬いていた、寒空に凛と輝くシリウスが神々しいまでに綺麗で、そのシリウスとプロキオンとベテルギウスが作る冬の大三角は圧巻だった。その脇で美しくも静かに光るのは昴にも目を奪われた。シリウスが王とするなら、昴はさながら可憐なお姫様だ。
その冬の大三角の近くにふたご座があったと記憶している。そんな豪華な冬の星空を流れ星が横切ったら──。
「素敵だろうなあ、いいなあ、一度見てみた──」
言いかけて止まった、それを言ってしまえと悪魔がけしかける、そんな事ははしたないと天使が引き留める。麻那の心の葛藤を長谷部は知らない。
(そっか、この子も星に興味があるのか)
やはり誘ってやろうと、口を開くが、
「りゅ、流星群って言うくらいだから、いっぱい流れ星が見られるんですよね!」
麻那の言葉にかき消された。麻那の中の天使が勝ってしまったようだ。
はぐらかされたのは判った、長谷部は溜息をはいていた。そこで「時間ある?」と聞けるほど、マメなタイプではない。
「ええ、年によって変動はありますけど。うまく写真が撮れたら一番にお見せします」
それが精一杯だった。
「ありがとうございます! 楽しみにしてますね!」
またうまく誤魔化せた、麻那は元気に長谷部を見送る。
精算も終えた長谷部が背を向ける、来た時同様たくさんの荷物を持って。
その姿が見えなくなってから、麻那は猛烈に反省した。
長谷部の様子からしたら、一緒に行きたいくらい言っても笑って受け入れてくれたのではないだろうか。特別じゃなくていい、友達としてついていけばいいのに──。
(馬鹿だ、私は馬鹿だ、いや、私の中の天使が馬鹿だ)
いないものの所為にして、麻那は悶々としたまま、その晩も眠りにつくことになる。
*
12月14日、麻那は夜勤を終えて帰路に着く。
ふたご座流星群は今夜極大らしい、ふと思って何気なく見上げた目の前に視野いっぱいに夜空が広がり、星が瞬いていた。
こうして空を見ていたら、長谷部と同じものを見ているのだと思うと、急に胸がきゅんと締め付けられた。遠く離れているはずなのに、同じものが見られるとはロマンチックではないか。
じっくり見ようと足を止めた時、とびきり大きな流れ星が視界を横切った。
「わあ……!」
凄いものを見たと感動して眠りについた翌朝のニュースで、それが火球と呼ばれる現象だと教えてくれた。
(長谷部さんも見たのかな、違う場所にいたのに、同じものが見られるなんて──)
感動を噛み締めていた、その時。
『長野県茅野市の八ヶ岳の山道で、四輪駆動車が崖下に転落しているのが見つかりました。運転していたのは写真家の長谷部克明さん、26歳です』
その名に、麻那の頭は真っ白になる。
『意識不明の状態で発見され、病院に運ばれ懸命な治療が行われているとの事です。転落から数時間は経っているとみられ、山荘に荷物を運ぶ業者が木がなぎ倒されているのを見つけ、数十メートル下の谷底に──』
テレビをじっと見つめた、だが長谷部の情報はそれ以上は入ってこなかった。
嘘、だよね──必死に考える。
しかし、シャシンカのハセベ・カツアキが、麻那の知らない人物である可能性の方が低いだろう。できれば別人であってほしい、自分が知る長谷部であるなら今どのような状態なのか知りたい……!
しかし麻那と長谷部を繋ぐのは、ホテルと言う場所だけだった。お互い連絡先も知らないし、当然麻那が長谷部の病室まで押し掛けるなどできるはずがない。
麻那が出来るのは、祈る事だけだった。
*
神様、どうか彼を連れて行かないで。伝えていない事があるの、どうしても伝えなきゃいけない事が──。
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