言えない言葉

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「理人はケイって呼ぶけど、その名前だって私の本当の名前じゃない。指輪にイニシャルが刻まれていたの。Kって」  私はバッグの内ポケットからシンプルな結婚指輪を取り出して、理人の目の前に置いた。  裏に刻まれているのは『S to K』の文字。つまり私はカ行から始まる名前で、イニシャルがSの人の妻だということ。記憶喪失だからといって、他の男性と交際をしていいわけがない。  意外なことに、指輪を見ても理人は眉一つ動かさなかった。 「その指輪のことは最初にタクシーに乗った時から知ってた。ケイは憶えてないかもしれないけど、身元の手掛かりになる物がないかと君の目の前でバッグの中を探したからね」 「え……そうだったの? あの時はまだ意識が朦朧としてたから……。じゃあ、最初から私が既婚者だって知ってたの?」  必死に隠していた自分が滑稽に思えてきた。それと同時に私が既婚者だと知っていながら、理人が私と親しくしていたということが信じられない。 「既婚者かどうかなんてわからないだろ? 君は指輪を嵌めてたわけじゃない。バッグの中に入れてただけだ。それに夫がいるのなら、捜索願を出してるはずだよ」 「それは私も不思議に思ってたけど……。でも、自分のモノではない結婚指輪を持っている理由って何かある? 私には思いつかないわ。もしも理人が言うように私が既婚者じゃなかったとしても、犯罪者だという可能性もある。本当の私がどういう人間だったのか、私自身にもわからないのよ!」  どうにもならない運命を呪うかのように言い募って、私は肩で息をした。そんな私を理人はじっと見つめていた。瞳の外側が少し青みがかった薄茶色の彼の目が、私は大好きだった。優しくてまっすぐで。今もそうだ。 「ケイがその指輪のことを僕に黙ってたのは、どうして? 自分が人妻だということを僕には知られたくなかった。そういうことだろ? だったら二人で前に進めるようにしよう」 「どうやって?」  情けないことに私は涙声で尋ねた。理人との未来をどれほど夢見たことだろう。そのたびにこの指輪がそうはできない現実を突きつけてきたけれど。
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