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「あの……寒いですけど、そこの公園でお話しませんか?」
私が道の向こうの小さな公園を指差すと、理人さんは「そうだね」と頷いて苦笑した。
「ごめん、やっぱり新宿で会えば良かった。この辺は住宅街だから、ゆっくり話せる店がないね」
「いえ、ここまで来て下さってありがとうございます。二年前、記憶を失った私を助けてくれたことも、一年間支えてくれたことも本当に感謝しています。記憶が戻った時、私、すっかり混乱してしまってすみませんでした」
「僕こそ挨拶もしないまま帰ってしまって失礼しました。さすがに君がご主人と抱き合って再会を喜ぶ姿は見ていられなくって」
ハハッと乾いた笑いを零すと、理人さんは公園のベンチにハンカチを敷いてくれた。優しくて飾らない人柄は変わっていない。
「あの、颯ちゃんは私の旦那さんじゃありません。ただの幼馴染です。私が東京で父親と再会して一緒に暮らすことにしたと思い込んでいた自分を責めて、少し過保護になってるだけなんです。颯ちゃん自身は遠洋漁業に出ていたから、探しようもなかったんですけど」
「は? ええっ⁉ 夫婦じゃない⁉」
「違います。私は誰とも結婚していません。あの指輪は母の物でした」
「え、じゃあ! いや、その……今、恋人はいる?」
腰を浮かせかけた理人さんが座り直して尋ねるから、私も勇気を出して訊いてみた。
「あの! 私たち、恋人でしょ?」
「……もしかして僕のこと、少しは思い出した?」
「はい。たぶんまだ全部じゃないとは思うけど。はっきり憶えていることは……私はあなたに愛されてた」
いつも彼の眼差しが物語っていたのに、私は逃げてばかりいた。後悔と今一緒にいられる喜びがない交ぜになって、涙が頬を伝う。今度こそ自分の気持ちに正直に生きたい。
「恵子さん」
「ケイって呼んで。あの頃みたいに」
「ケイ。この一年、僕は何度も君を攫いに行こうとしたんだ。その度に君の幸せを思って踏みとどまったけど、僕は今でもずっと君を愛してる」
「私も。ずっとあなたとの未来を願ってた。だから……クリスマスにまた会ってくれる? あなたとまたロゼを飲みたいの」
「本当に思い出してくれたんだね」
泣きそうな笑顔の理人が私の左手を持ち上げて口付けた。何も嵌っていない薬指に。
「クリスマスに迎えに行く。もう二度と君が僕の前から消えないように一緒に暮らそう。ここに僕と同じ指輪を嵌めて。いいね?」
私の承諾の返事は、理人の唇で塞がれて飲み込まれて行った。
END
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